1905年12月

1905年

1905年12月20日 上海で清国人が蜂起 英・独の水兵が上陸

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.544(12月20日・東京朝日新聞)上海暴動の報 会審公堂(外国と清国の共同裁判所)の事件に関して、上海では人々の感情が...
1905年

1905年12月19日 伊藤侯を統監府に押し込めて — 武断派内閣、ひとまず安心

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.545(12月19日・満州朝日新聞)むしろ哀れに思うべきことである。 伊藤侯(伊藤博文)が朝鮮統監に就任することが決まっ...
1905年

1905年12月16日 ロシア・リヴォニアで臨時政府が樹立される

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.543(12月16日・東京朝日新聞/14日ワシントン発) ロシア帝国のリヴォニア州(ラトビア地方)の首都リガにおいて、主...
1905年

1905年12月16日 古河潤吉氏が逝去

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.543(12月16日・中外商業新報) 本日葬儀が行われた故・古河潤吉氏は、故・陸奥宗光伯爵の次男である。明治3年(187...
1905年

1905年12月15日 日清交渉問題 ― 協定の内容

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.542(12月15日、東京朝日新聞) (13日上海発) 日本と清国の交渉について、協定の調印は15~16日頃に行われる見...
1905年

1905年12月14日 野口男三郎の不敵ぶり

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.542(明治38年12月14日 東京朝日新聞) 臀(しり)の肉を切り取り、さらに寧斎(ねいさい)を殺害するという、残忍か...
1905年

1905年12月10日 帝国ホテル拡築

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.539(明治38年12月10日 萬朝報) 日本の圧倒的な戦勝(=日露戦争の勝利)は、帝国(日本)の国際的地位を著しく高め...
1905年

1905年12月08日 大山満洲軍総司令官 凱旋

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.537(明治38年12月8日付 東京朝日新聞) 我が満洲軍の総司令官・大山巌元帥、総参謀長の児玉源太郎大将、そして総司令...
1905年

1905年12月05日 戸水寛人休職問題、ついに爆発 山川東京帝国大学総長、辞表を提出 続いて法科教授らも相次いで辞職の意向

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.536(12月5日付 東京朝日新聞) 東京帝国大学総長・山川健次郎氏が辞職した真相について聞くところによれば、山川氏は、...
1905年

1905年12月03日 大使館設置の官制を公布

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.535(12月3日付 東京朝日新聞) 枢密顧問会の諮問を経て決定された、外交官および領事官制度の改正(大使を置く件)は、...