(12月3日付 東京朝日新聞)
枢密顧問会の諮問を経て決定された、外交官および領事官制度の改正(大使を置く件)は、昨日(12月2日)に官報・勅令第244号として公布された。同時に、勅令第245号から第250号までにより、外務省の所管制度の一部にも改正が加えられた。
その要点は以下のとおりである。
(一)大使館職制の新設
新たに特命全権大使、大使館参事官、および大使館一等・二等・三等書記官の職を設ける。
• 大使は「親任官」(天皇が直接任命)とする。
• 大使館参事官は「勅任官」、
• 大使館書記官は「奏任官」とする。
(二)通訳官の設置
英語・フランス語・ドイツ語以外の言語を必要とする大使館には、一等・二等通訳官を置き、これを奏任官とする。
(三)外交官の定員
大使を新設するほかは、従来と定員に大きな変更はない。
すなわち、
• 大使館参事官は、従来の特命全権公使・弁理公使の定員16名の枠内に含める。
• 大使館書記官は、公使館書記官30名の枠内に含む。
• 大使館通訳官も、公使館通訳官7名の枠内に含む。
なお、大使そのものには定員の上限を設けない。
(四)官等(位階と身分)
• 大使は親任官、
• 公使および大使館参事官は高等官一等または二等、
• 弁理公使は二等、
• 大使館書記官および通訳官の官等は、公使館のそれと同じ。
(五)俸給・手当
• 大使の本俸(基本給)は年額5,000円。
• 大使館参事官は3,000円、3,500円、4,000円の3等級に分ける。
• さらに大使館参事官には、年額12,000円以内の交際費を支給できる。
(六)在勤手当(滞在地手当)
• 大使の在勤手当(滞在地での生活・接待費)は、英国勤務の場合3万円。
• 大使館参事官は同1万円とする。
1. 日本が「大使館制度」を導入した意味
この改正は、日本が列強と同等の外交的地位(Great Power Status)を得たことの象徴です。それまで日本の外交使節は「公使館(Legation)」であり、
• 公使(Minister)=中位の外交使節
であって、
• 大使(Ambassador)=列強間のみで交換される最上級の外交使節
ではありませんでした。
明治38年(1905年)12月のこの制度改正で、日本はついに「特命全権大使を派遣する国」となり、欧米列強と対等な外交関係を結べるようになったのです。
2. なぜこの時期に公布されたのか
1905年といえば――
• 日露戦争が終結(ポーツマス条約、9月)
• 第二次日韓協約の締結(11月)
と、国際的にも外交的にも日本の地位が大きく上昇した年でした。
日本はこれを機に、欧米列強と肩を並べる“帝国外交”を確立する」ため、従来の「公使館」から「大使館」へ格上げを行いました。その象徴が、この「大使館官制の公布」です。
3. 対象国と派遣先
当初、大使が派遣されたのは、主に「列強五大国」でした。
• イギリス(ロンドン)
• フランス(パリ)
• ドイツ(ベルリン)
• アメリカ(ワシントン)
• ロシア(サンクトペテルブルク)
これらはいずれも、日本が戦争や条約を通じて外交上の地位を確立した主要相手国です。特にロンドン大使館は最重要拠点とされ、記事中に「英国在勤棒(手当)3万円」と明記されています。
4. 枢密顧問の関与
記事の冒頭にある「枢密顧問の諮問を経たる」とは、外交制度の改正が天皇の大権事項(外政)であるため、天皇直属の諮問機関「枢密院」で審議・承認されたという意味です。これは、単なる外務省の内規変更ではなく、国家体制の格上げを伴う勅令改正だったことを示しています。
5. 歴史的意義
この「大使館官制の公布」は、明治維新以来の日本外交が「半文明国」から「列強国」へと昇格した、象徴的な転換点です。
この制度改正をもって、
• 日本は「帝国」として国際社会に完全に認められ、
• 翌1907年の「日仏協約」や「日露協約」など、
列強同士の外交交渉を大使級で展開できるようになります。


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