海外記事

1907年

1907年07月13日 韓廷は囚獄同様と、更にハーグに哀訴か

(1907年7月13日、東京朝日新聞)(12日ソウル発) 7月6日の閣議において、韓国皇帝はハーグ密使事件について、話題をそらしながらも、内心では自らの責任の重...
1907年

1907年07月12日 韓国皇帝は焦燥 統監はいまだ参内せず

(1907年7月12日、東京朝日新聞)(7月11日、京城発) 高宗 は、しきりに伊藤博文の意向を知りたがっているようである。しかし、統監はいまだ宮中へ参内してい...
1907年

1907年07月10日 西太后、立憲準備に関する詔書を出す

(1907〈明治40〉年7月10日『東京朝日新聞』)(7月9日、北京発) 西太后 は、昨日8日、「立憲準備」に関する上諭(皇帝の詔書)を発した。その大要は次の通...
1907年

1907年07月09日 海牙密使事件で韓国政府は大混乱

(1907年7月9日、東京朝日新聞)(7月8日、京城発) ハーグ密使事件について、韓国宮中の動揺は非常に激しかった。一昨日6日に開かれた御前会議では、2時間にわ...
1907年

1907年07月06日 韓国皇帝の密使 ハーグの万国会議に現れて独立保護を哀訴す

(1907年7月6日・東京朝日新聞)(7月4日 京城発) 以前、アメリカ人のハルバートが京城を去った頃から、「ハーグ会議に韓国代表を送るらしい」という噂は存在し...
1907年

1907年06月29日 平和会議に日本からも提案

(1907年6月29日 東京朝日新聞)(6月28日 タイムス社電・ハーグ発) 第二回ハーグ平和会議で議論されている「国際捕獲審検所(海戦時の拿捕裁判所)」設置に...
1907年

1907年01月05日 インドの排英運動

(1907年1月5日・東京朝日新聞)(4日、サンフランシスコ発) インドでは、イギリスの支配から脱却することを目的とする運動が次第に盛んになっており、これを速や...
1906年

1906年10月07日 英仏軍事協約説

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.150(1906年10月7日 時事新報)(10月5日・ロンドン発) ベルリンの新聞『ゲルマニア』の報じるところによれば、...
1906年

1906年07月09日 韓国宮中粛清案

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.114宮禁令の内容(1906年7月9日 東京朝日新聞)(8日・京城発) 既報のとおり、宮禁令(きゅうきんれい)は、すでに...
1906年

1906年06月21日 ユダヤ人虐殺 オデッサ以上に深刻な状況

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.108(1906年6月21日 東京朝日新聞)(19日発・ロイター電報) ユダヤ人虐殺の実態を調査するため、ビアリストック...