1905年12月28日 モスクワの革命軍、政府軍と激戦 死者五千・負傷者一万四千

1905年

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.554

(1905年12月28日、東京朝日新聞)(26日、ワシントン発電報)
 本日、モスクワにおいて革命党員たちは、まるで狂人のような勢いで政府軍と戦闘を繰り広げた。市民には、「決して屋外に出てはならない」との警告が出された。
 夜7時ごろには、市内のバリケードや鉄道駅が破壊されたという。
 死者は約5,000人、負傷者は14,000人に上ると伝えられる。
 モスクワ駐屯の軍隊は、今のところなお政府の命令に従っている。

1. 時期と国際情勢

 この事件は1905年ロシア革命(第一次ロシア革命)の前夜の出来事にあたります。
 当時ロシア帝国は、
  • 外では日本との日露戦争(1904年2月開戦)で連敗を重ね、
  • 内では社会不安・労働争議・農民暴動が全国に広がっていました。
 そのため、帝政に対する不満が爆発寸前の状態でした。

2. モスクワ蜂起(Moscow Uprising)

 この記事が伝える「モスクワの革命軍との激戦」は、のちに「モスクワ蜂起(1905年12月)」と呼ばれる事件を指します。
 ⚫︎概要:
  • 発端は、労働者組織「労働者代表ソヴィエト(評議会)」の呼びかけによるゼネスト(総同盟罷業)。
  • 当初は労働運動だったが、革命派(社会民主労働党=のちのボルシェヴィキなど)が主導して武装蜂起へ発展。
  • 鉄道・通信網・工場が停止し、街にはバリケードが築かれ、モスクワ市街は内戦状態に。
 ⚫︎結果:
  • 政府軍(皇帝ニコライ2世に忠実な部隊)が鎮圧に成功。
  • 約5,000人の死者・14,000人の負傷者という報道は、当時の外国通信社による推計であり、実際の死者数は数百~千人程度ともいわれますが、凄惨な戦闘だったことは確かです。

3. 「革命軍」=社会主義勢力の台頭

 この「革命軍」とは、ロシア社会民主労働党のボルシェヴィキ(レーニン派)やメンシェヴィキ、社会革命党(エスエル)などの武装労働者・市民を指します。彼らは専制政治と貧困に反対し、「憲法制定議会の開催」や「労働者の権利拡大」を求めて蜂起しました。
 この運動は失敗に終わりますが、後の1917年ロシア革命(十月革命)へとつながる最初の大規模な試みでした。

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