1906年07月19日 昌図以北の鉄道、先月引き渡しを受ける

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.119

(1906年7月19日 東京朝日新聞)
 先月、日本側が引き渡しを受けた昌図―公主嶺間の鉄道は、その後ただちに修理に着手した。昌図から双廟子までの区間は、幸いにも破壊がそれほど激しくなかったため、すでに仮修理を終えて列車の運転が可能となった。ただし、双廟子から公主嶺までの区間には、大規模な修理を必要とする箇所が少なくなく、少なくとも1か月の工事期間を要するため、それまでは列車の運転を開始することはできない。その場合でも、橋梁などは当然ながら仮設のものとなる見込みである。
 また、公主嶺―長春間については、来る8月1日に引き渡しを行う予定であるが、この区間も引き渡し後に大修理が必要となる見通しであり、昌図―長春間が全面開通するのは、11月下旬から12月頃になると見込まれている。
 なお、長春駅の扱いをめぐる問題については、ロシア側もきわめて好意的な態度を示しているようであり、この件に関する交渉は、おそらく円満に妥結するであろうと当局者は語っている。

◾️ 「昌図―公主嶺―長春」とはどこか

 この記事に出てくる地名は、すべて南満洲(現在の中国東北部)に位置します。
  ・昌図(しょうと)
  ・公主嶺
  ・長春
はいずれも、ロシアが建設した東清鉄道(中国東北部の鉄道網)の重要区間でした。

◾️ 「収受(引き渡し)」の意味

 ここでいう「収受」とは、日露戦争の結果として、日本がロシアから鉄道施設を引き継いだことを意味します。
 1905年、日露戦争終結、ポーツマス条約によりロシアは南満洲鉄道の一部、関連施設・権益を日本に譲渡

 この条約に基づき、日本は順次、
  ・鉄道
  ・駅
  ・橋梁
  ・付属施設
実地引き渡しを受けていました。

 この記事は、その実務的進捗報告です。

◾️ なぜ修理が必要だったのか

 日露戦争中、満洲一帯は激しい戦場となり鉄道は
  ・爆破
  ・破壊
  ・応急復旧
を繰り返していました。

 そのため、
  ・レール
  ・枕木
  ・橋梁
  ・駅設備
は深刻に損傷しており、日本側は、
   仮復旧 → 本格修理 → 全面開通
という段階的な復旧を進めていたのです。

 この記事にある「仮修理」「仮設橋梁」という表現は、軍事・経済上の早期利用を優先した実情をよく示しています。

◾️ 長春停車場問題とは何か

 「長春停車場問題」とは、長春という重要拠点における
  ・駅施設の管理権
  ・使用条件
  ・日本・ロシア双方の権限分担
をめぐる交渉問題です。

 長春は、
  ・南満洲鉄道
  ・東清鉄道
が交差・接続する戦略的要衝であり、
  駅を誰が管理するか = 周辺地域の主導権
を意味していました。

 記事中で、「露国も頗る好意を以て我を迎へ居る」とあるのは、
  ・ロシア革命の混乱(1905年)
  ・極東での後退
を背景に、ロシアが強硬姿勢を取れなかった事情を反映しています。

◾️ 南満洲鉄道設立への流れ

 この記事が出た1906年7月は、
  ・6月:南満洲鉄道株式会社(満鉄)設立
  ・夏〜秋:鉄道実務の引き継ぎ・整備
という、まさに満鉄体制始動期でした。

 この記事は、満鉄が本格的に交通・物流・軍事の動脈を掌握していく過程を現場レベルで伝えるものです。

◾️ 総括

 この短い記事は、戦争の結果として得た「権益」がどのように
  ・修理され
  ・管理され
  ・運用に移されていったか
を具体的に示しています。

 それは単なる鉄道工事報告ではなく、日本が満洲を「戦場」から「経営対象」へと転換していく過程を示す、重要な一次史料といえます。

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