1907年05月03日 大学の先生を辞して、夏目漱石が東京朝日新聞社に入社

1907年

(1907年5月3日 東京朝日新聞)
入社の辞(漱石)
 大学を辞めて朝日新聞に入ったところ、多くの人が驚いた顔をしている。中には理由を尋ねる者もいれば、「大きな決断だ」と褒める者もいる。しかし私は、大学を辞めて新聞社に入ることが、そこまで不思議なことだとは思っていない。自分が新聞記者として成功するかどうかは、もちろん分からない。成功しないかもしれないのに、十数年続けてきた道を一気に変えたことを「無謀だ」と言われるなら、それももっともである。実際、私自身もその点については驚いている。
 だが、「大学のような名誉ある地位を捨てて新聞社に入ったこと」に驚くのなら、それはやめてもらいたい。大学というのは、有名な学者が集まる場所であり、尊敬すべき教授や博士がこもっているところかもしれない。また、長く勤めれば高官(勅任官)になれる場所でもある。そう考えれば、確かに立派なところである。
 東京大学(赤門)に入り、講座を持とうとする人は数えきれないほどいるだろう。それだけ大学が魅力的であることは私も認める。しかし、それは「大学が立派な場所である」という点に同意しているだけであって、「新聞業が劣った職業である」ということに賛成しているわけではない。
 新聞が商売であるなら、大学もまた商売である。もし商売でないなら、人々が教授や博士になりたがる必要も、給料を上げてもらう必要も、勅任官になる必要もないはずだ。つまり、新聞が商売であるのと同じように、大学もまた一つの商売である。新聞が卑しい商売だというなら、大学も同じく卑しい商売である。違いは、個人で営むか、国家が営むかの違いに過ぎないのである。(後略)

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/148

写真・図引用:https://www.city.shinjuku.lg.jp/kanko/file03_01_00027.html

⚫︎ 夏目漱石の転身という「事件」

この記事の主人公である夏目漱石は、当時すでに

  • 吾輩は猫である
  • 坊っちゃん

などで名声を得ていた作家であり、同時に東京帝国大学の英文学教師でもありました。

その彼が安定したエリート職を捨て、新聞社(東京朝日新聞)に入社したことは、当時大きな衝撃を与えました。

⚫︎ 「大学 vs 新聞」という価値観の対立

明治時代の日本では:

  • 大学教授=最高のエリート職
  • 官職(勅任官)=社会的成功の象徴

でした。

一方、新聞記者は:

  • 民間職
  • 商業的活動
  • 必ずしも高い社会的評価ではない

漱石はこの価値観を真っ向から批判しています。

⚫︎ 漱石の思想:職業観の相対化

漱石の主張の核心は:

「大学も新聞も本質的には同じ“職業(=商売)”である」

という点です。

これは当時としてはかなりラディカル(急進的)な考えで、

  • 官(国家)=高尚
  • 民(商業)=低俗

という近代日本の価値観を崩すものでした。

⚫︎ なぜ新聞社に入ったのか

漱石の転職理由は複合的ですが:

  • 大学制度への違和感
  • 自由な執筆活動への志向
  • 経済的条件(新聞社の方が高給)

などが挙げられます。

結果として彼は新聞連載作家となり、近代日本文学の中心人物へと発展していきます。

⚫︎ まとめ

  • 夏目漱石が大学教授を辞め新聞社に入社
  • 当時のエリート観(大学>新聞)に対する強い問題提起
  • 「大学も新聞も商売である」という職業観の相対化
  • この転身により、漱石は新聞連載作家として大成

これは単なる転職ではなく、明治日本の価値観(官尊民卑)への知的挑戦であったともいえます。

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