〔明治38年10月3日、東京朝日新聞〕
(長崎発)
アメリカの 太平洋商業海底電信会社 は、マニラとアメリカ本土を結んでいる電信線を延長し、新たに マニラから上海と長崎を結ぶ二つの電信線を敷設する こととなった。
これによって、東洋諸国との通信は大きく発展することになるだろう。
この記事は、20世紀初頭における国際通信インフラの拡張 を報じたものです。
1. 背景:太平洋横断ケーブルの完成
• アメリカの Commercial Pacific Cable Company(太平洋商業海底電信会社)は、1903年にサンフランシスコ〜ハワイ〜グアム〜マニラを結ぶ 太平洋横断ケーブル を開通させました。
• これにより、アメリカとフィリピン(当時アメリカ領)は直接通信できるようになっていました。
2. 新設ケーブルの意味
• 新たに計画されたのは、マニラから 上海(中国) と 長崎(日本) に向かう二つの支線。
• これにより、日本と中国もアメリカの通信網と直結することになります。
• 当時、日本はイギリス資本の 大北電信会社(Great Northern Telegraph Company) のケーブルを利用するしかなく、通信料が高く、情報の独占が問題でした。
• アメリカ系ケーブルの敷設は、通信ルートの多様化 と 国際競争による料金低下 を意味しました。
3. 日本にとっての意義
• 日本は日露戦争(1904–1905)で電信の重要性を痛感しており、国際通信の独立性確保 が大きな課題でした。
• 長崎はすでに外国電信会社の拠点であり、東アジア通信のハブとして機能していたため、新線の設置は地政学的にも自然な流れでした。
• この記事の「東洋各国通信に一生面を開く」という表現は、通信環境の改善が外交・軍事・貿易に新しい局面を開く、という期待を示しています。


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