(11月29日・東京朝日新聞)
ハワイ移民を取り扱う全国の移民会社は、すでに29社という多数にのぼっている。これらの会社は、従来、相互の利便をはかる目的で「移民取扱人同盟会」という組織を結成していた。
しかし、その内部でさまざまな不正や弊害が起こるようになったため、これを改めようとし、先日大阪で大会を開き、旧同盟会を解散して新たな同盟会を設立することを決議した。
ところが、その後も改革は実現せず、状況の改善が見られなかったことから、いわゆる関東派(東京・九州などの一部会社)が不満を募らせ、ついに独立して新しい同盟会を結成した。
関東派に属する会社は以下の11社である。
日本殖民、東京移民、皇国植民、熊本移民、大陸殖民、森岡移民、東洋移民、吉佐移民、仙⚫︎移民、
九州移民、日木移民
この新同盟会は、東京府京橋区新肴町(現在の中央区付近)に事務所を設置した。
一方、旧組織に残ったのは、関西派と呼ばれる山陽移民会社ほか18社である。現在、両派は対立したまま紛争状態にあり、しかも関西派の内部でもさらに分裂の兆しが見え、統一は当分望めそうにないという。
「ハワイ移民」とは何か
この時代の「移民」とは、主にハワイ王国(後にアメリカ領)やアメリカ本土への労働移民を指します。
日本人のハワイ移民は、
• 1885年(明治18年)に政府間契約により開始(官約移民)
• 1894年に官約制度が終了し、以後は民間移民会社による自由移民(私約移民)へ移行
明治30年代には、ハワイ・米本土・南米・アジア各地への移民が活発化し、それを仲介する「移民会社」が乱立していました。
移民会社とは
移民会社は、主に以下の業務を行っていました。
• 渡航希望者の募集・健康審査
• パスポート・契約書などの手続き
• 船賃・就労先との契約代行
• 送金・通信の仲介
ところが、多くの会社が営利主義・斡旋料目的で乱立し、中には移民希望者を騙す悪質業者もありました。そのため業界内部でも「自浄」と「統一」が必要になっていたのです。
「移民取扱人同盟会」の成立と腐敗
この「移民取扱人同盟会」は、もともと全国の移民会社が協力して不正防止と制度改善を目指した団体でした。
しかし次第に、
• 派閥争い(関東 vs 関西)
• 利益配分の不公平
• 斡旋手数料や契約先の取り合い
などの問題が深刻化。特に関西系の業者(大阪・神戸)が実権を握り、東京・九州などの関東派が不満を抱いていたことが、この記事の「分裂」につながりました。
派閥構図
| 派閥 | 主な地域 | 主な会社 | 特徴 |
| 関西派 | 大阪・神戸・広島 | 山陽移民ほか18社 | 古参・実績多いが、旧弊や癒着も多い |
| 関東派 | 東京・九州 | 日本殖民、東京移民、九州移民11社 | 改革派、新しい経営理念・制度を志向 |
関東派は、「移民の人権を守りつつ産業移民を推進する」姿勢を打ち出しており、既得権を持つ関西派との対立が決定的になったのです。
なぜこの時期に分裂が起きたのか
1905年(明治38年)は日露戦争終結の年であり、
• 復員兵・失業者の増加
• 農村経済の疲弊
• 海外移民への依存増大
といった社会背景がありました。
戦後の社会不安を背景に、政府は「海外移民奨励政策」を強化しましたが、民間業者の間では移民送出の競争と混乱が激化していたのです。したがって、この「移民同盟会分裂」は、日露戦後の移民ブームの裏にあった業界の利権争いと制度疲労を象徴する事件といえます。
その後の展開
この分裂ののちも、移民業界の乱立と腐敗は続き、政府はついに1909年(明治42年)に「海外移民保護法」を制定し、移民会社を登録制にして監督を強化しました。
以後、国家統制のもとでの「正規移民事業」へと再編され、戦前期の南米移民政策(ブラジルなど)にもつながっていきます。


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