1905年09月05日 国民大会に警察が干渉

軍事・騒乱

警察、妨害しようと奔走

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.485

(9月5日、東京朝日新聞)
前号で報じた「新富座を借りる件」については、別の記事の通り無事に契約が成立した。ところが、3日の夜、麹町警察署長が連合同志会の委員に電話で出頭を求めてきた。
委員の一人が署に赴くと、署長はこう話した。
「聞くところによれば、5日に日比谷公園で大集会を開かれるそうだが、今はまだ戦争が実際に完全に終わったわけではなく、しかも講和の条件も詳しく公表されていない時に、国民が勝手に騒ぎ立てるのは諸外国の目から見ても面白くない。だからしばらく見合わせてはどうか。もしも条約の詳細が正式に発表された後に大衆の騒ぎが起きて、『なぜ事前に警察が注意を与えなかったのか』と批判されるようでは遺憾だから、その点を申し上げておく。」
このように、暗に集会を禁止するかのような口ぶりで、大会を中止させようとしたのである。
しかし委員は「あなたのご意見とは全く異なるので、大会を中止することは断じてできない」と答えて引き上げたという。
したがって、政府は今日の大会に干渉し、公園への入場を妨害するような手段を取るかもしれない。しかし、市民が大会とは関係なく公園に遊びに行くことまで警察が妨げる道理はない。ゆえに誰でも遠慮なく、自分の公園に出入りすればよい、ということである。

日露戦争後のポーツマス条約に対する国民の不満は大きく、市民団体や有志が「国民大会」を企画し、日比谷公園で抗議集会を開こうとしましたが、警察はこの集会が暴動や外国への悪印象につながることを恐れ、開催をやめさせようとしました。
「麹町警察署長」は「諸外国の目を気にする」などと理由を並べていますが、実質的には 政府からの圧力=集会禁止でしたが、主催者側は強硬に拒否し、予定通りの開催を主張しました。

この時期、政府は「言論・集会の自由」を大きく制限しようとし、市民はそれに反発しており、この「国民大会」がきっかけとなって9月5日〜7日にかけて日比谷焼打事件が起こりました。

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