日露戦争

1906年

1906年03月11日 乃木大将、二人の息子を密かに墓へ埋葬 ―葬儀の日取りもひそかに変更して―

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.59(1906年3月11日・報知新聞) 本日行われるはずであった乃木大将の二人の御子息の葬儀は、急遽予定を変更し、昨日執...
1906年

1906年03月10日 陸軍の記念日

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.58(1906年3月10日・時事新報) 昨年(1905年)の今日3月10日は、わが満州軍が奉天および撫順を占領した日であ...
1906年

1906年01月13日 奥司令官凱旋 梨本宮御凱旋

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.25(1906年1月13日、東京朝日新聞) 日露戦争が勃発した一昨年(1904年)5月5日、第二軍は遼東半島に上陸し、翌...
1906年

1906年01月01日 明治三十八年(1905年) 戦闘の経過

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.1(1906年(明治38年)1月1日、東京日日新聞)⚫︎一月(1905年1月) 1日 旅順(りょじゅん)開城。 2日 旅...
1905年

1905年12月08日 大山満洲軍総司令官 凱旋

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.537(明治38年12月8日付 東京朝日新聞) 我が満洲軍の総司令官・大山巌元帥、総参謀長の児玉源太郎大将、そして総司令...
1905年

1905年11月25日 死傷22万人、病者も22万人 ― 日露戦争での我が損失

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.531(明治38年11月25日・東京朝日新聞) 東京医士報国会の解散式における、小池軍医総監の演説によれば、日露戦争にお...
1905年

1905年09月08日 戒厳令施行 ― 騎兵を憲兵として使う

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.493(1905年9月8日、東京朝日新聞)朕(天皇)は、騎兵(乗馬兵科)の者を憲兵の勤務に補助として従事させる件を裁可し...
1905年

1905年09月08日 公憤=電車の焼き討ち

火のついた電車を押して内務大臣邸に迫る引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.493(1905年9月8日、東京朝日新聞)一昨(おととい)6日の午後9時を少し過ぎ...
1905年

1905年09月06日 無政府=無警察

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.490(1905年9月6日、日本新聞)警察の力がまったく及ばない「無政府状態」である。交番を焼き討ちする動きは、もはや止...
1905年

1905年09月06日 國民の公憤爆発! 国民大会

当局の不理解が圧迫となり、都民が沸騰した引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.486(9月6日、東京朝日新聞)昨日行われた國民大会は、警視庁の干渉によってかえ...