当局の不理解が圧迫となり、都民が沸騰した
(9月6日、東京朝日新聞)
昨日行われた國民大会は、警視庁の干渉によってかえって激昂した都民をして、殺気立つ勢いを生じさせた。
▲禁止を命じる
芝居小屋の貸し出しを拒否させようとしたり、主催者を呼び出して会合をやめさせようとしたりするなど、警察は尽力した。今朝未明、麹町警察署長は高橋秀臣氏を呼び出して、大会を禁止する旨を通告した。だが高橋氏は発起人ではないとして、その命令を受けられないと答えて帰った。
▲委員たちが次々と検束される
高橋秀臣(神田警察署)、恒屋盛服(麻布警察署)、村松恒一郎、大谷誠夫(赤坂警察署)、細野次郎(日本橋警察署)らは、今朝6時ごろ、治安行政関係の法律に基づいて各警察署で拘束を命じられた。大竹貫一・小川平吉の両氏は9時ごろ、同志会に向かう途中、東京倶楽部の角で待ち構えていた巡査に突然捕えられ、麹町警察署へ同行するよう求められたが両氏が拒否すると、巡査が腕力で連行しようとしたところ、近くにいた血気盛んな者たちが群がって来て、二人の巡査を袋叩きにした。
村松氏が赤坂警察署から送った手紙には次のようにある(要旨)――
「本日午前6時前、赤坂署の巡査が来宅し署長に面会したい、同行を求めるとのことだった。強引について行ったが、警部なる者が面会し、『ある時間、貴下を拘束する必要がある』として留置を決めた。理由を尋ねると治安警察法の『公安を害するおそれ』によると言う。私は公安を害した覚えはないと抗弁したが、公権力で執行するというので仕方なく従った。これは本日の国民大会に関することである。政府がこれで国民の声を抑えられると考えているのなら、嘆かわしい限りだ。暫時警察の世話になるが、後日の問題として対処する考えである。」
同じく大谷誠夫氏も巡査に同行させられ、両名はいま宿直室にいる。ほかの同志も同様の扱いを受けたと思われる。
(九月五日午前、赤坂警察署の一室より/村松恒一郎 編集局宛)
▲日比谷に要塞を築く
警視庁は徹底して大会を禁止しようとし、昨日午前10時ごろから日比谷公園の各門に大きな丸太で柵を築き、警官の鉄条網を張って公衆の立ち入りを禁じ、園内の者には退去を命じた。
▲市参事会の談判
これを知った東京市参事会は警視庁の不法な扱いに激怒し、まず尾崎市長に問いただした。市長も驚いて内務省に赴き、渡邊助役は警視庁に出頭して抗議し、出崎庶務課長は現場に出張して開放に努めた。しかし内務省は「まだ把握していない、のちに対処する」と返し、警視庁は手続き上の不注意を認めつつも「帝都の治安上やむを得ず警察署長に命じて行わせた」として撤去は難しいと言った。麹町署長は「市参事会の手続きを経ていないのは手落だが、この場合は裁可を請うのみ」として取り合わなかった。
市参事会の委員は警視庁の専横に怒り、江間俊一氏を先頭に全員で車を連ねて日比谷公園正門へ赴き、閉ざされた柵をついに開かせることに成功した。これは市参事会員近来の大業であった。
▲開会
「二百三高地占領、万歳!」の声とともに潮のように押し寄せた公衆は約三万人とも報じられる。会場は怒りと熱気に満ちた。山田喜之助氏が開会の辞を述べ、河野広中氏を会長に推薦すべきとした。河野氏は国旗を持った群衆に連れられて到着し、演壇で開会を宣言した。大竹貫一氏は講和条件が国辱であることは言うまでもなく、我々はこれを拒絶すべく決議を行うと述べ、君が代が演奏された。河野氏は次の決議案を朗読した。
(決議要旨)
• 満州の各軍へ打電すべき決議:我々は挙国一致して必ず屈辱条約を破棄することを期す。
• 我々は出征軍が奮闘し敵軍を粉砕することを熱望する。
(9月5日 日比谷公園にて 國民大会)
また別の決議案では、[高官]が和約批准を拒否するよう上奏し、国家を危機から救うことを望む旨が述べられた。拍手喝采はやまず、警視庁の禁止は事実上破られ、國民の凱歌が奏された。
▲遂に血を見る
ここから生じた騒擾の詳報は次頁にあるが、国民新聞社の破壊、内務大臣官邸襲撃、新富座での騒動などが続いた。
▲西園寺(内務大臣)官邸焼打ち
内務大臣官邸を取り囲んだ群衆は警察に迫害されてもひるまず、午後6時ごろ何者かが放火した。構内北側の執事の家から火が出て群衆は歓声を上げた。火勢は強まり、風がなかったため延焼の恐れは低かったが、消防に当たる者がいれば石を投げるなどして妨害した。警察が抜刀して群衆を威嚇する中で負傷者が数名出た。
▲出兵
火は一旦消えかけたが再び放火され、公衆は従来のまま石を投げ続けた。ついに近衛歩兵一小隊が出動した。
これは9月5日〜7日の日比谷焼打事件の記事です。
日比谷焼打事件は、「民衆の政治参加(大衆運動)」の始まりを象徴する出来事の一つです。従来の政治は政党・官僚・藩閥主導が一般的でしたが、新聞の普及や都市労働者・下級士族・新興中産層の政治的自覚により「大衆が直接声を上げる」様相を示しました。
政府側にとっては、言論・集会の自由と治安維持とのはざまで対応を誤れば暴力的な結果を招くことが明白になり、以後の治安政策や警察・内務行政の強化につながる側面がありました。
また、報道機関・言論の役割(新聞社が攻撃対象になった点)や自治体と中央官庁(市参事会と警視庁・内務省)の権限対立といった問題も浮き彫りになりました。
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