(1905年9月9日『國民新聞』)
言語の多少は、それを用いる社会が文明的か未開的かを判断する有力な基準である、というのは人類学者の広く認めるところである。
世界で最も語彙の少ないのはアメリカのインディアンで、その数はわずか400語にすぎない。日本語でも、大和言葉だけを数えれば800語を少し超える程度にすぎないだろう。
ところが、最近宣教師バチェラー氏が編纂した『アイヌ語文典』および『アイヌ語辞書』によると、文法書は163ページに及び、辞書には1万3000語が収録されているという。
アイヌ人が用いる語彙が1万3000語もの膨大な数に達しているという事実は、まことに驚くべきことであり、これはかつて彼らの民族が意外に高い文明を持っていたことを証明するものであろう。
この記事は当時の言語学・人類学の知見に基づき、「語彙の多少=文明度」という考え方を示していますが、この「語彙数で文明の程度を測る」という基準自体は、今日では時代遅れの偏見とされています。
記事に出てくる「バチェラー氏」は、英国人宣教師ジョン・バチェラー(John Batchelor, 1854–1944)で、彼は長年北海道で布教活動を行い、同時にアイヌ語の研究・記録に尽力し、『アイヌ語文典』『アイヌ語辞書』を著し、アイヌ文化・言語を西洋に紹介したことで知られます。
この記事が出た1905年は、日露戦争直後で、日本が「帝国」として拡張していく過程にあり、アイヌ民族はすでに「同化政策」の対象とされ、土地を失い、生活や文化が急速に制約されていました。その一方で、学術的にはアイヌを「人類学的な研究対象」として扱う動きが強まりました。この記事もその一環です。
この記事は一面ではアイヌ語の価値を認め、文明性を称えるものですが、他方で「過去には文明があった」という表現は、現在のアイヌを「すでに衰退した民族」とみなす視点でもあり、称賛の形をとりながらも、同化政策を正当化する当時の時代精神が反映されています。
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