(1906年1月27日、萬朝報)
◾️西園寺侯の発言
西園寺公望侯は言った。
「藩閥と政党を天秤にかけたら、藩閥の方がずっと重い。伊藤侯を政党側に入れて、ようやく釣り合いが取れるくらいのものだ。」
◾️山県派の前大臣の発言
山県有朋系統の前大臣某氏(名は伏せられている)は語った。
「戦後(=日露戦争後)の政治をうまく続けていくためには、軍備と財政をうまく調和させることが肝心である。つまり、山県の積極的な軍事拡張論と、伊藤・井上(財閥・財政家)の緊縮主義とを上手く折り合いをつけねばならぬ。その調整の腕前がなければ、西園寺内閣も長持ちはしないだろう。おそらく次の議会で倒れるに違いない。」
◾️貴族院保守派の動き
貴族院の谷(谷干城)、曾我、松平正直、松岡、松尾、富田、園田、古澤ら、いわゆる保守主義の重鎮たちは、非常に古い——いや、「ずっと古い」リヒト経済学(※注)を両院議員に配り、残りを民友社に売らせている。これによって、国家主義・保護貿易主義を盛んに唱えようという魂胆らしい。
◾️外交官批評
外国の外交官が“役人くさくない”のは、むしろその「甘さ(柔軟さ)」によるものである。しかし、日本の外交官は実に役人くさい(官僚的すぎる)。この点から言えば、小村寿太郎男爵などは、ややその「役人臭」を脱しているといえる。
◾️官吏の驕慢風刺
林権助氏(=外交官、後の朝鮮総監府参与官)は、京城(ソウル)の遊郭の女性たちから「御前(ごぜん)」と呼ばれないと機嫌が悪いという。また、三増領事(外務官僚の一人)は、ある新聞に「三増夫人談」と出ると、その記者を呼びつけて、「今後は“三増令夫人”と書け」と命じたという。——まったく馬鹿げた話ではないか。
政治状況:第一次西園寺内閣の成立直後
この記事が出た1906年1月当時、日本では第一次西園寺公望内閣が発足して間もない時期でした(1906年1月7日成立)。これは、日露戦争(1904–1905)後の政治を担う「戦後初の内閣」であり、西園寺は伊藤博文の後継として政党(立憲政友会)を基盤にした内閣を組織しました。
しかし、旧勢力である藩閥(山県有朋・桂太郎ら軍閥官僚)の影響力は依然として非常に強く、政党と官僚・軍部との力関係をどう調整するかが最大の課題でした。
西園寺の発言:「藩閥の方がずっと重い」
この発言は、西園寺の現実的な政治観を示しています。「藩閥政治」=明治初期からの薩長閥(山県・桂・黒田など)が支配する体制は依然として健在で、政党がそれに対抗してもまだ力は及ばない。伊藤博文は藩閥出身でありながら政党政治にも理解を示していたため、「伊藤が政党側に立つことでようやく均衡が取れる」という皮肉な構図を述べたものです。
山県派の前大臣の発言:「軍備と財政の調和」
山県有朋の弟子筋にあたる前大臣(おそらく桂太郎系統)は、「戦後政治の要は、軍拡と財政再建のバランス」と述べています。日露戦争の結果、日本は勝利したが財政は破綻寸前でした。軍部(山県・桂系)は「さらなる軍備拡張」を主張し、財政家(井上馨ら)は「戦後は緊縮・節約が必要」と唱える。西園寺内閣がこの両者を調和させることができなければ、「次の議会で倒れるだろう」という辛辣な予言です。(実際、西園寺内閣は2年半後に崩壊します。)
貴族院保守派の動き
谷干城(元軍人)ら貴族院の保守派が、「古いリヒト経済学」=古典的国家主義経済学の書物を議員に配っていたという皮肉です。これは、当時流行していた自由貿易・議会主義への反発であり、「国家保護・重商主義」に立ち戻ろうとする反動的動きを風刺しています。「民友社に売らせる」という表現からも、彼らの「理論が商品化している(=形式的で空虚)」という嘲笑が感じられます。
外交官批判・風刺
当時の日本外交官は、「格式ばり」「官僚主義」「階級意識が強い」と批判されていました。特に外務省は明治政府内でも特権的で、傲慢な振る舞いが風刺の的になっていました。「外国の外交官は柔軟で人間味があるが、日本の外交官は“役人臭い”」という指摘は、当時の世論でも広く共有されていました。
小村寿太郎(外務大臣)は例外的に「現場感覚のある外交官」として評価されており、日露講和(ポーツマス条約)での活躍もあって、この記事では「役人臭を脱している」と評されています。
林権助・三増領事の風刺
林権助(元外務省官僚)はのちに朝鮮統監府で活動しますが、当時から傲慢で高慢な人物として知られていたため、妓生(ぎしょう/遊女)に「御前」と呼ばせるという逸話は、外務官僚の奢りを象徴する風刺的エピソードです。「三増令夫人」の件も同様に、“格式ばかりを気にする官僚の虚栄心”を笑い飛ばしたものです。
歴史的意義と『萬朝報』の論調
| 観点 | 内容 |
| 新聞の立場 | 『萬朝報』は、もともと民権派の急進紙。後に国権主義・社会批判へ転じ、政界の腐敗・官僚主義を風刺。 |
| 記事のトーン | 西園寺内閣誕生直後の「政党政治の理想と現実」を冷笑的に描く。 |
| 背景 | 日露戦後、国家財政が逼迫。藩閥と政党、軍部と財界の力学が激突。 |
| 主題 | 官僚主義の横行、藩閥支配の残存、外交官・貴族院・官僚階層の形式主義を皮肉る。 |
| 歴史的意義 | 「政党政治がまだ藩閥の影の下にある」という、明治末期の日本政治の本質を鋭く突いた評論記事。 |


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