1906年05月13日 若槻大蔵次官以下、韓国皇帝に謁見し叙勲を受ける

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.88

(1906年5月13日 時事新報)(12日・京城発)
 去る9日午前11時、鶴原総務長官の同行のもと、韓国皇帝(高宗)に謁見した若槻大蔵次官山座政務局長山口・加藤両大佐酒匂農務局長野村技師市來大蔵書記官本多外務書記官佐藤陸軍砲兵少佐宇高騎兵大尉ほか数名に対し、本日、それぞれ叙勲の沙汰があった

◾️ この記事は何を伝えているのか

 この記事は、日本政府高官・軍人らが韓国皇帝・高宗に謁見し、韓国側から叙勲(勲章授与)を受けたことを伝えています。形式上は「友好儀礼」の記事ですが、実際にはきわめて政治的意味の強い出来事です。

◾️ 若槻大蔵次官とは

 若槻禮次郎(当時・大蔵次官)は、
  ・日本の財政官僚の中枢人物
  ・後に内閣総理大臣となる政治家
です。

 彼が韓国で皇帝に直接謁見している点から、
  ・財政・制度改革
  ・日本による韓国統治の実務調整
に深く関与していたことが分かります。

◾️ なぜ日本の官僚・軍人が叙勲されたのか

 1905年11月の第二次日韓協約(乙巳条約)により、韓国は日本の保護国となり、
  ・外交権は日本が掌握
  ・財政・軍事・行政にも日本人顧問が深く関与
する体制になっていました。

 この記事に登場する人物たちは、
  ・財政改革(大蔵関係)
  ・行政統制(政務局・農務)
  ・軍事顧問(陸軍・騎兵)
として、韓国統治の実務を担っていた中核メンバーです。

 叙勲は、
  ・表向きは感謝と友好
  ・実質的には「日本の関与を公式に認める儀式」
という意味を持っていました。

◾️ 韓国皇帝・高宗の立場

 高宗皇帝は、
  ・日本の圧力下で条約を結ばされた
  ・しかし完全に抵抗を諦めていたわけではない
という非常に困難な立場にありました。

 それでもこの時点では、
  ・日本との協調姿勢を示す必要
  ・国内外に「秩序は保たれている」と示す必要
があり、叙勲という形で日本高官を遇する選択をしています。

◾️ 「京城発」という点の意味

 記事が「京城(現ソウル)発」であることは、
  ・現地で日本人高官が事実上「常駐支配層」として行動していた
  ・日本の官僚・軍人が宮廷に自由に出入りしていた
現実を示しています。

 これは、すでに韓国が、名目上は独立国、実態は日本の保護下国家であったことを端的に物語ります。

◾️ 歴史的意義

 この記事は小さな儀礼記事に見えますが、
  ・日本官僚が韓国皇帝から叙勲を受ける
  ・日本の制度・軍事が韓国統治に深く入り込んでいる
  ・皇帝がそれを公式に承認している
という点で、韓国併合(1910年)への道筋がすでに制度的に固まりつつある段階を示す、重要な史料です。

◾️ まとめ

 この新聞記事は、
  ・日韓関係が「対等な外交」から「保護国体制」へ完全に移行した現実
  ・日本官僚・軍人が韓国国家運営の中枢を担っていた事実
  ・韓国皇帝の形式的権威と実質的無力化
を静かに、しかしはっきりと伝えています。

 叙勲という儀礼の裏に、近代東アジア秩序の大転換が映し出された記事と言えるでしょう。

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