(1906年3月22日 読売新聞)
三井、三菱、そして郵船の三社によるボートレースは、過ぎた明治35年ごろ、向島の名物として大いに話題になった。しかし残念ながら、その後いったん中止されてしまい、隅田川の川辺はどこか寂しい雰囲気になっていた。
ところが今回、各社とも若く意欲に満ちた選手が揃ったことから、このレースを再び開催することになり、来たる4月3日の神武天皇祭の日(※高等商業学校のレース当日でもある)に、三社が覇を競うことになった。
なにしろ、学生時代には互いに名を馳せたベテラン選手たちによるレースであり、しかも最近では、三社とも選手たちが向島に泊まり込み、仕事の合間にオールを握って練習しているとのことなので、当日はさぞ華やかで見応えのあるレースが見られるだろう。
(以下略)
● 三井・三菱・郵船とは?
- 三井財閥
- 三菱財閥
- 日本郵船(NYK)
いずれも当時の日本を代表する大企業・財閥で、社員のスポーツ活動も盛んでした。
● 「端艇競漕(ボートレース)」が企業文化だった時代
明治時代後半、欧米文化の影響で
- ボート
- 陸上競技
- ラグビー
- 野球
などのスポーツが急速に広まり、大学や企業の間で競技大会が開かれるようになります。
当時の大企業は、エリート社員の体育会活動=企業の威信とみなしていたため、ボート競技は特に重要な競技でした。
● 向島(現在の墨田区)は“ボートの聖地”
隅田川の向島付近は流れが穏やかで直線的な区間が長く、明治〜大正期にはボートレースの名所として人気を集めていました。この記事も「墨堤(ぼくてい)」=隅田川堤防を指します。
● 三社レースは一度中止されていた
記事によると:
- 明治35(1902)年ごろに盛んだった
- その後、一度中止されていた
- 若手選手が揃ったため再開が決定
つまり、企業対抗スポーツによる競争を再び盛り上げようとする動きがあったわけです。
● 神武天皇祭 = 4月3日の祝日
当時の日本では「神武天皇祭」が祝日で、学校や企業の競技会が行われる定番の日でした。
記事では「高商(=東京高等商業学校、現 一橋大学)のレースも同日」とあり、大企業レースと学生レースが同日に盛り上がるスポーツイベント日だったことがわかります。
■まとめ
この記事は、1906年に三井・三菱・郵船の企業対抗ボートレースが復活する
ことを伝える新聞記事で、当時のスポーツ文化・企業文化、向島の賑わいなどが背景にあります。

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