1906年03月10日 陸軍の記念日

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.58

(1906年3月10日・時事新報)
 昨年(1905年)の今日3月10日は、わが満州軍が奉天および撫順を占領した日である。これら両地の占領は、20か月間にわたった日露戦争の陸戦において、わが軍が最も大きな力を発揮し、その効果も最大であった戦果である。また日本海海戦の勝利と相まって、日露両国の勝敗を最終的に決定づけた大戦闘であった。
 この戦いは、わが陸軍の戦術の優秀さと兵士たちの卓越した勇敢さを世界に示し、歴史上に不朽の偉業を残したものであるため、陸軍がこの日を特別な記念日と定めたのは、まことに当然であると言えよう。これは単に陸軍の記念日にとどまらず、国民全体の記念日であると称しても良いのである。
(以下略)

● 何が起きた日か

 この記事が指す「奉天および撫順の占領」とは、日露戦争における最大規模の陸戦 「奉天会戦」(1905年3月1日〜10日) の終結と日本の勝利を意味する。
  • 奉天(現在の中国・瀋陽)
  • 撫順(中国・遼寧省)
 これらはロシア軍の重要拠点であり、日本軍がこれを攻略したことで ロシア陸軍の退却が決定的 となった。

● なぜ“決定的勝利”とされたのか

 奉天会戦は、日本側:約30万人、ロシア側:約34万人が参加した近代戦史上最大級の地上戦であった。ここで日本が優勢を確保し、さらに同年5月の日本海海戦で海軍が決定的勝利を収めたことで、ロシアは講和交渉(後のポーツマス条約)を受け入れざるを得なくなった。

● 記念日の制定について

 この記事は、翌1906年に陸軍省が 3月10日を「陸軍記念日」 と制定したことを報じている。一方、海軍は 5月27日(日本海海戦)を「海軍記念日」 とした。これらは戦前日本の軍事的ナショナリズムの象徴となり、学校教育・儀礼・軍隊行事などで重視された。
 ※ 戦後、両記念日は廃止された。

● 歴史的意義

観点 内容
軍事史 日本の近代陸戦能力が世界的に認知された契機
外交史 講和(ポーツマス条約)へ向かう決定点
国内政治 軍部の権威・国民的支持の強化
社会思想 戦勝記念日を通じた国家的ナショナリズムの形成

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