(1906年3月7日・東京朝日新聞)
アームストロング会社が、相模国平塚村に大規模な工場を建設するという話は、昨年以来の噂であった。しかしその噂はついに事実となって現れ、すでに建物の設計を終え、敷地の地盤整備に取りかかったという。製造される品目がどのようなものであるかは、現時点では明らかにされていないが、敷地はおよそ一里四方(約4平方キロメートル)の広大な土地であり、前面には馬入川が流れており水の便にも優れている。
計画の規模は極めて大きく、しかも工場としての設備が完全なものになると考えられることから、製造されるものも非常に重要で大規模なものになることは推測できる。また、工場建設に要する費用は約五千万円と見込まれており、本年中に全面的に工事が着手される予定だという。
● アームストロング社とは
記事の「アームストロング会社」とは、イギリスの有力軍需企業 アームストロング・ホイットワース社(Sir W.G. Armstrong Whitworth & Co.) を指すと考えられます。同社は19世紀後半以降、
• 大砲(アームストロング砲)
• 艦砲・艦船
• 機械・鉄鋼設備
などを広く製造した、世界的軍需・重工業メーカーでした。日本では薩摩藩が1860年代に輸入し、明治政府の軍制近代化にも大きく関わりました。
● なぜ平塚なのか
相模国・平塚(現在の神奈川県平塚市)は当時まだ農村地帯でしたが、
• 東京・横浜に比較的近い
• 鉄道(東海道線)へのアクセス
• 河川(水運・工業用水)
が揃っており、軍需・機械工場の立地として適していました。
● 記事の重要ポイント
1. 工場規模が異常に大きい(約一里四方 ≒ 東京ドーム85個分)
2. 建設費5,000万円(当時の国家予算が約2億円前後)
3. 製造品目が伏せられている → 軍事関連の可能性が極めて高い
このことから、記事の裏には 軍備拡張・国産化または外国軍需資本導入 に関する国家レベルの動きがあると考えられます。
● 結末
実際には アームストロング製造工場は平塚には建設されませんでした。これは日本政府が最終的に軍需生産の国産化路線を選択し、 日本国内企業(例:日本製鋼所 1907年設立)へ重点を移したためとされています。


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