(1905年12月20日付、國民新聞)
最大急行列車
新橋(現在の東京駅の前身)と神戸のあいだを走っている急行列車は、現在15時間半で到着するダイヤで運転されている。しかし鉄道作業局(現在の鉄道省の前身)では、この区間を約13時間で到着できる特別急行列車を運転する計画を立てている。
このような高速運転を行うためには、従来の車両では長時間の高速運転に耐えられない。そのため、この急行専用の新型ボギー車(台車付き車両)を新しく製造し、凱旋兵の輸送が終わり次第、運行を開始する予定である。
なお、この特別列車については、通常の急行よりも高い運賃(特別料金)を徴収する案もある。その理由は、各駅に停車する直通列車が新橋-神戸間で24時間以上かかるのに対し、13時間で到着する特急列車と同じ運賃では不公平だという議論があるからである。
時代背景 ― 鉄道黄金時代の幕開け
この記事が書かれた明治38年(1905年)は、ちょうど日露戦争が終結した年です。戦争の勝利を受けて日本全体が沸き立ち、国内では「近代国家としての発展」を象徴するインフラ整備が進んでいました。鉄道はその中心にあり、軍事輸送でも威力を発揮したことから、国家の生命線と見なされていました。
当時の日本の鉄道網は、すでに東海道線(新橋―神戸間)が全通しており、これは日本の「幹線鉄道」として経済・軍事の両面で重要でした。
「ボギー車」の導入 ― 高速化の鍵
記事に登場する「新式ボギー車」とは、車輪を固定した四輪車ではなく、前後に回転できる二軸台車(ボギー)を持つ車両です。これにより走行が安定し、カーブでも高速走行が可能になります。当時、これを採用した「特別急行(のちの“特急”)」が登場するのは画期的で、 日本における本格的な高速列車の誕生を予告するニュースだったのです。
「13時間」運転の意味
明治30年代の鉄道は、まだ蒸気機関車による運転で、線路や信号の整備も不十分でした。その中で東京(新橋)から神戸まで約13時間というのは、当時としては驚異的な速さです。
<参考>
• 新橋-神戸:約590km
• 平均速度:約45km/h以上
これは当時の世界水準に近い速度であり、日本の鉄道技術の進歩を国内外に示すものでした。
特別料金制度の導入
記事中にあるように、「通常列車と同じ料金では不公平」という議論から、特急列車に追加料金を課す案が出ています。この考え方はその後定着し、やがて「特急券」制度として制度化されました。つまりこの記事は、「特急料金」制度が導入される直前の記録でもあります。


コメント