(1906年6月7日 読売新聞)
官設鉄道の本年度の改良費予算は、これまでの年度割で定められている三百五十万円とほとんど変わらないとされている。しかし建設費については、第21回帝国議会で満場一致により衆議院を通過した「四大幹線」、すなわち
・北陸幹線(京都府余部から福井県敦賀に至る線、および新潟県新発田から秋田に至る、いわゆる羽越線)
・山陰幹線(島根県今市から山口県山口に至る線)
・四国幹線(香川県琴平から高知県須崎に至る線、および徳島県岩津から琴平線に接続する線)
・九州幹線(大分県大分から宮崎県宮崎に至る線)
を速やかに完成させるための建議案も提出されており、その実現を急ぐべきであることは誰もが認めている。
しかし、これら四大幹線の総延長はおよそ六百三十五マイルに及び、建設費は概算で九千九百万円以上を要するとされるため、国庫の財政で果たしてこれを賄えるかどうかが問題となっている。
第21回議会で決定された鉄道建設費の年度割によれば、明治40年から45年までは毎年約九百五十万円の建設費を支出し、その後、明治46年に四百八十四万円、47年に三百五十万円、48年に百二十七万円を支出して、
福島―青森間、八王子―名古屋間、八代―鹿児島間、福知山―境―今市間、福知山―園部―舞鶴間、富山―直江津間などの路線を完成させる予定である。
ところが、45年までの既定年度割の建設費九百五十一万円と、改良費三百万円を合計すると、鉄道益金は現在およそ千二百五十万円に達しており、これでは既存路線の継続工事だけで手一杯で、新たな敷設を認める余地はない計算となる。
もし四大幹線の速成を実行しようとするならば、来年度から48年度までの前記年度割を変更し、まず短期間のうちに既定路線の敷設を終え、その後に四大幹線の建設に着手しなければならない。
しかし、そのような年度割の変更によって生じる建設費の増加は、公債の発行に頼らざるを得ず、一般財政に及ぼす影響も小さくない。そのため、これらの点について当局では現在調査中であり、まだ何らの決定もなされていないと伝えられている。
◾️ 日露戦争後の国家的課題としての鉄道整備
この記事が書かれた1906年(明治39年)は、日露戦争直後にあたります。戦争を通じて、鉄道が兵站(軍需輸送)と国防に極めて重要であることが改めて認識されました。そのため、全国的な鉄道網の整備、とりわけ地方幹線の整備が国家的課題となっていました。
◾️ 「四大幹線」構想の意味
北陸・山陰・四国・九州はいずれも、当時鉄道整備が遅れていた地域です。
四大幹線は単なる地方路線ではなく、
・地方経済の振興
・資源・物資輸送の円滑化
・有事の際の軍事輸送路の確保
を目的とした国家規模の幹線鉄道計画でした。
◾️ 財政制約と公債問題
しかし、日露戦争で国家財政は大きく疲弊しており、鉄道建設費の多くはすでに使途が決まっていました。この記事が詳しく述べているように、
・既定路線だけで鉄道益金は限界
・四大幹線を急ぐには年度割変更が必要
・それには公債発行が避けられない
という状況でした。これは、戦後日本が直面した「復興と拡張をどう両立させるか」という典型的な財政問題を示しています。
◾️ 結論が出ていない点の重要性
記事の結びで「未だ何等可決する所なし」としている点は、政府内でも鉄道拡張の必要性は認めつつ、財政的リスクを慎重に検討していたことを示します。
この後、日本の鉄道政策は段階的に進められ、地方幹線も時間をかけて整備されていくことになります。

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