海外

1907年

1907年08月02日 韓国軍の解散を命じる詔勅が公布される

(1907〈明治40〉年8月2日『日本新聞』、8月1日付・外務省電報)外務省から伝えられた韓国皇帝の詔勅(現代語訳) 私は、国政が多難な現在、国家の経費をできる...
1907年

1907年08月01日 韓国は自ら独立を損なってきた ― 独立を守ってきたのは日本である ― 伊藤統監、新聞記者との懇談会で語る

(1907〈明治40〉年8月1日『東京朝日新聞』、7月30日京城発) 伊藤統監は、日本人記者との意思疎通を図るため、7月29日の夕方、日本人倶楽部で晩餐会を開き...
1907年

1907年07月25日 日韓新協約成立 ― 混迷する韓国を全面的に指導、統監府が実権を握る

(1907年7月25日『官報』) 1907年7月24日、京城(現在のソウル)で、日本の統監と韓国(大韓帝国)総理大臣との間で新しい日韓協約が締結された。その内容...
1907年

1907年07月22日 親日派の頭目と見なされ――暴徒、李完用の邸宅を焼き討ち

(1907年7月22日『報知新聞』) 焼き討ちされた韓国総理大臣・李完用の邸宅は、西山門外(西小門付近)にあった。西小門は南大門と西大門の間に位置する小さな門で...
1907年

1907年07月19日 排日派の集会

(1907〈明治40〉年7月19日午前1時 京城特派員発) 排日派の韓国人たちも数千人規模で大漢門(徳寿宮正門)付近に集まり、夜が更けるにつれて情勢は次第に不穏...
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1907年07月19日 夜中の元老諮問

(1907年7月19日午前1時 京城特派員発) 昨日お伝えしたように、伊藤統監が韓国皇帝に謁見した際、皇帝は終始話題をそらしながら、暗に統監の意向を探ろうとした...
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1907年07月05日 韓国の徴兵令

(1907年7月5日・時事新報)(7月3日 京城発)去る7月2日、5か条から成る徴兵令(募兵令)が公布された。その概要は次の通りである。  ・韓国男子は17歳か...
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1907年06月12日 朴泳孝、突然の帰国

(1907年6月12日 報知新聞) 朴泳孝が、去る8日に突然釜山へ上陸したこと、また法部大臣の趙重應が彼と面会するため釜山へ向かったことは、京城からの電報で既に...
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1907年06月01日 孫逸仙と梁啓超 ― 清国亡命者の二派

(1907年6月1日 報知新聞) 日本に滞在している清国の志士たちの間には、二つの流れがある。一つは、孫文(孫逸仙)を支持する共和主義者で、雑誌『民報』を機関誌...
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1907年05月28日 韓国の国賓受贈事件、米国で問題化

(1907年5月28日 福岡日日新聞) 先ごろ、韓国皇太子の結婚式に際し、特使として派遣された田中光顕(宮内大臣)は、その機会に韓国の歴史的な国宝である白玉製の...