(1907〈明治40〉年9月8日『時事新報』)
このたび、阿部吾市、久米伊豫太郎、浅野総一郎、岡本儀兵衛らが発起人となり、東京瓦斯会社の芝浜第一製造所・浅草橋場第二製造所・深川猿江第三製造所で生産されるガスコークスをすべて引き受け、独占的に販売することを目的として、資本金25万円の「東京瓦斯コークス会社」を設立する計画である。すでに株式の払込は完了しており、9月15日に創立総会を開いて役員を選出する予定だという。
なお、東京瓦斯会社の3つの製造所で生産されるガスコークスは、年間約50万斤(約300トン)以上に達し、その販売契約期間は今後10年間とされている。このほど、阿部・久米の両氏が代表となり、東京瓦斯会社との間で仮契約書を取り交わしたという。
写真・図引用:https://www.gasmuseum.jp/blog/20221125-1/?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ ガスコークスとは何か
記事の中心となっているガスコークスとは、都市ガスを製造する際に石炭を蒸し焼き(乾留)した後に残る固形燃料です。
当時の都市ガス工場では、
- 都市ガス
- コールタール
- アンモニア
- ガスコークス
など複数の商品が生産されていました。
ガスコークスは
- 家庭用燃料
- 工場のボイラー燃料
- 鍛冶屋や鋳物工場
- 蒸気機関用燃料
など幅広く利用されていました。
現在でいう「副産物」ではありますが、当時は重要な商品でもありました。
⚫︎ 東京瓦斯会社の発展
東京ガスは1885(明治18)年に設立され、明治後期には東京市内への都市ガス供給を急速に拡大していました。
記事に登場する
- 芝浜第一製造所
- 浅草橋場第二製造所
- 深川猿江第三製造所
は、当時の主要なガス製造拠点でした。
ガス需要の増加に伴い、ガスコークスの生産量も増え、その販売を専門会社へ一括委託する仕組みが検討されたのです。
⚫︎ 「一手販売」の意味
記事では「一手特約に販売」とあります。
これは現在でいう
- 総販売代理店
- 独占販売契約
- 専売代理店
に相当します。
つまり東京瓦斯は、「ガス製造に専念し、コークス販売は専門会社へ任せる」という経営方式を採ろうとしていました。
今日でもメーカーが販売会社へ販売を委託する仕組みは珍しくありませんが、その先駆的な例の一つといえます。
⚫︎ 浅野総一郎と実業界
発起人の一人である浅野総一郎は、明治・大正期を代表する実業家です。
浅野総一郎は
- 浅野セメント
- 京浜工業地帯の埋立事業
- 石炭
- 海運
- 電力
など幅広い事業を展開し、「京浜工業地帯の父」とも呼ばれています。
このような燃料流通事業への参加も、当時のエネルギー産業への積極的な投資の一例でした。
⚫︎ 資本金25万円の規模
記事にある資本金25万円は、1907年当時としてはかなり大きな資本です。
現在の貨幣価値へ単純換算はできませんが、数億円から十数億円規模以上の企業設立に相当すると考えられます。
また、10年間の販売契約を結んでいることからも、単なる商店ではなく、長期的なエネルギー流通会社として設立されたことが分かります。
⚫︎ まとめ
- 東京瓦斯会社のガス製造で生じるガスコークスを販売する専門会社「東京瓦斯コークス会社」の設立が計画された。
- 資本金は25万円で、東京瓦斯の3工場で生産される全量を10年間独占販売する契約を結ぶ予定だった。
- 発起人には浅野総一郎ら著名な実業家が参加しており、明治後期のエネルギー産業の発展を象徴する事業だった。
- ガスコークスは都市ガスの副産物であると同時に、家庭・工業の重要な燃料であり、専業販売会社の設立は流通の近代化を示す出来事でもあった。


コメント