(1月18日・中外商業新報)
17日、政府は貴族院・衆議院の議員代表者を招き、政府が作成した財政計画案を内示した。その概要は次のとおりである。
▲明治41年度予算
まず、明治41年度の国家予算の大体を示すと、歳入は、
・経常部:約4億7,500万円余
・臨時部:約1億4,000万円余
で、合計は約6億1,400万円余となる。
これに対して歳出は、
・経常部:約4億2,600万円余
・臨時部:約1億8,900万円余
で、合計は約6億1,500万円余となる。
したがって、歳入と歳出を差し引くと、約490万円の歳入不足が生じる。この不足額については、別途提出する予定の増税による収入を充てて補う計画である。
ただし、これとは別に、現在国庫にある剰余金のうち、約3,300万円については、明治41年度の財源として使用する予定である。
写真・図引用:
⚫︎ これは「正式決定前の予算案」
この記事でいう「内示」は、現在の感覚でいえば、「政府案を国会関係者に先に示した段階」と考えると分かりやすいです。
実際、明治41年1月23日の第24回帝国議会衆議院本会議で、大蔵大臣の松田正久が明治41年度予算案について正式に説明しています。政府提出法案には「明治四十一年度歳入歳出総予算案」も含まれていました。
したがって今回の記事は、
1月17日ごろ:政府案を議員代表者に内示
↓
1月23日:正式に帝国議会へ提出
という流れの途中に位置する記事です。
⚫︎ 実際の正式予算と比較すると面白い
ここが今回の記事の非常に重要なところです。
新聞の「内示案」では、歳入不足 約490万円とされています。
ところが、1月23日に松田大蔵大臣が帝国議会で説明した正式な予算案では、歳入・歳出ともにおおむね6億1,600万円余となり、均衡する形になっています。
つまり、
内示段階
約490万円の不足
↓
増税などで補填する予定
から、
正式予算案
増税を歳入に組み込み、収支を均衡させる
という形に整理されたわけです。
⚫︎ なぜ増税が必要だったのか
この時期の日本の財政を理解するには、日露戦争後の財政負担を見る必要があります。
1904~1905年の日露戦争では、日本は莫大な戦費を必要としました。
戦争中には、
- 酒税
- 通行税
- 非常特別税
- 所得税
- 営業税
- その他の間接税
など、さまざまな増税が行われました。
戦争が終われば財政負担が軽くなるはずでした。
しかし実際には、そう簡単ではありませんでした。
⚫︎ 「戦争が終わったのに、なぜ予算が膨らむのか」
理由の一つは、日本が帝国として新しい領域・権益を維持する費用です。
特に重要なのが、
朝鮮
1907年には、
- ハーグ密使事件
- 高宗退位
- 第三次日韓協約
- 韓国軍解散
- 各地の義兵運動
などが起きています。
これに対応するため、日本は朝鮮への軍事・行政的関与を強めていました。
実際、正式な予算説明でも、明治41年度には韓国政府への立替金525万円余が計上され、さらに韓国内の不穏な情勢によって軍隊の臨時派遣費が追加要求される可能性があると松田大蔵大臣が説明しています。
これは今回の記事の背景として非常に重要です。
⚫︎ 満州・朝鮮への軍事費も重かった
さらに、「満韓駐屯部隊費」があります。
これは、日露戦争後に日本軍が朝鮮・満州に駐留するための経費です。
明治40年度までは臨時部に計上されていたものが、明治41年度には経常部へ移されたと松田大蔵大臣が説明しています。
つまり、「戦争中だから必要な一時的な軍事費」から、「平時になっても毎年必要になる恒常的な軍事費」へ変わりつつあったわけです。
これは日露戦争後の日本財政の大きな問題でした。
⚫︎ 増税の中身
正式な予算案では、政府は単に「不足したから増税する」というだけではなく、具体的な増税策を提示しています。
松田大蔵大臣の説明によると、
- 酒税の増税
- 砂糖消費税の増税
- 新たな石油消費税
- 煙草価格の引き上げ
などが計画されました。
増税による明治41年度の収入は、徴税費を差し引いた純増で約491万円と説明されています。
これは今回の記事に出てくる「約490万円の歳入不足」とほぼ一致します。
つまり、新聞記事が伝えている「490万円不足」という数字は、後日の正式な政府説明ともきれいにつながります。
⚫︎「3,300万円の剰余金」が非常に重要
記事でもう一つ注目したいのが、「現在の剰余金の内約三千三百万円」です。
これは当時の政府がすでに保有していた財源です。
ところが、「そんなに余っている金があるのなら、なぜ増税するのか?」という疑問が当然出てきます。
実際、この点は帝国議会でも大きな論争になりました。
1月23日の衆議院本会議でも、議員側から、「3,300万円もの剰余金があるのに、なぜ約500万円の増税が必要なのか」という趣旨の批判が出ています。
さらに3月19日の議論では、会計法上の剰余金の翌年度繰入れをめぐって、「剰余金をどう予算財源として扱うか」が議論されています。
つまり今回の記事は、後の国会論戦につながる財政政策上の重要な論点を先取りして報じていたことになります。
⚫︎ 実は「緊縮財政」と「増税」が同時に進んでいた
西園寺公望内閣は、単純な「大盤振る舞い」の政府ではありません。
むしろ政府は、
① 支出を抑える
② 既定の事業を延期する
③ それでも足りない分は増税する
という財政再建を目指していました。
松田大蔵大臣も、戦争終結から約2年が経過したので、今後は歳入と歳出の均衡を維持し、財政基盤を強固にする必要があると説明しています。
つまり、「戦争が終わったから軍事費を全部削る」のではなく、「戦後の財政を立て直しながら、帝国として必要な軍事・植民地・鉄道などの経費は維持する」という難しい政策だったのです。
⚫︎ 明治41年度予算の規模
記事の数字を整理すると、概ね次のようになります。
| 区分 | 内示案 |
| 経常歳入 | 約4億7,500万円 |
| 臨時歳入 | 約1億4,000万円 |
| 歳入合計 | 約6億1,400万円 |
| 経常歳出 | 約4億2,600万円 |
| 臨時歳出 | 約1億8,900万円 |
| 歳出合計 | 約6億1,500万円 |
| 不足額 | 約490万円 |
| 剰余金の活用予定 | 約3,300万円 |
※新聞の内示段階の数字なので、正式予算では若干変化しています。
正式な政府説明では、歳入・歳出とも約6億1,600万円となり、経常歳入は約4億7,500万円、臨時歳入は約1億4,000万円でした。
⚫︎ この予算から見える「明治41年の日本」
この予算を眺めると、1908年の日本がどのような国になっていたのかがよく分かります。
日露戦争前
日本
→ 富国強兵を進める新興国
日露戦争
日本
→ 大規模な戦費を投入
1905年
日本
→ ロシアに勝利し、朝鮮・南満州などで大きな権益を獲得
1907~08年
日本
→ 「勝った後の帝国を維持する費用」が発生
1908年
日本
→ 軍事費・朝鮮統治・満韓駐屯・鉄道・台湾経営などの経費を抱えながら、財政再建を迫られる
この構造が、今回の記事の背景です。
⚫︎ まとめ
この記事は、単なる「来年度予算の数字」の記事ではありません。
重要なのは、日露戦争後の日本が「勝利の後始末」に直面していたことです。
政府は明治41年度予算について、
歳入:約6億1,400万円
歳出:約6億1,500万円
→ 約490万円の不足
という財政計画を作り、不足分を増税で埋めようとしていました。
しかし、その一方で国庫には約3,300万円の剰余金があり、「それだけ余っているのに、なぜ増税するのか?」という問題が生じます。
この点は実際に第24回帝国議会で激しく議論されました。
そして、正式な予算には、
- 酒税増税
- 砂糖消費税増税
- 石油消費税新設
- 煙草価格引き上げ
などが組み込まれました。
さらに、
- 韓国への財政支援
- 韓国駐屯軍
- 満韓駐屯部隊
- 台湾経営
- 鉄道
- 港湾整備
などの経費も必要でした。
したがって、この小さな新聞記事は、「日露戦争に勝った日本が、勝利によって得た帝国的地位を維持するため、どのように国家財政を組み立てようとしていたか」を示す非常に良い資料です。

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