(1908年1月6日、東京二六新聞)
佐久間象山の未亡人であり、勝海舟翁の妹である瑞枝(みずえ)刀自(とじ)は、赤坂溜池・氷川町にある勝伯爵邸内の隠居所において、去る23日午前11時、老衰のため亡くなった。
刀自は、嘉永5年(1852)12月、18歳で佐久間家に嫁いだ。その後、佐久間象山の家で暮らしていたが、慶応年間に象山が京都へ赴き、やがて暗殺されるという大変動に遭遇した。象山が亡くなった後、瑞枝は夫の家を支え、その後は実家の勝家とも深い関係を保って暮らした。また、戊辰戦争の際には、官軍が東京の勝家に押し入ったことがあった。そのとき、家族が恐れて慌てる中でも、瑞枝は少しも動じず、官軍の隊長を説得したことがある。そのため、勝家では彼女のことを非常に気丈な女性として記憶していた。晩年には、勝海舟のもとで静かに暮らしていた。そして23日、老衰のため亡くなった。葬儀はその後、赤城元町の清隆寺において行われた。
写真・図引用:https://adeac.jp/nagano-city/texthtml/d100040/ct00000004/ht002880?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ この女性は「勝海舟の妹」であり「佐久間象山の妻」
この記事の主人公は、佐久間順(さくま・じゅん)です。
後に瑞枝(みずえ)と名乗りました。
彼女は、
- 父:勝小吉
- 兄:勝海舟
- 夫:佐久間象山
という、幕末史でも非常に重要な人物たちにつながる女性です。
順が象山に嫁いだのは1852年(嘉永5年)。当時、象山は42歳、順は17歳前後でした。かなりの年齢差がある結婚です。
⚫︎ なぜ「勝海舟の妹」が佐久間象山に嫁いだのか
ここは非常に面白いところです。
勝海舟と佐久間象山は、単なる義兄弟ではありません。
海舟はもともと象山の門人でした。
象山は、
- 西洋砲術
- 蘭学
- 海防論
- 世界情勢
などを研究した幕末の代表的な洋学者・兵学者でした。
勝海舟も象山から大きな影響を受けた人物です。
したがって、「勝海舟の師匠が佐久間象山」であり、「その象山の妻が勝海舟の実妹」という、非常に濃い人間関係が成立していたわけです。
⚫︎ 佐久間象山の死
順の人生を大きく変えたのが、1864年(元治元年)の佐久間象山暗殺です。
象山は京都で開国・公武合体を唱えていました。
しかし当時の京都では尊王攘夷派の勢力が強く、象山の開国論や幕府寄りの立場は強い反発を招いていました。
1864年7月11日、象山は京都で河上彦斎らに襲撃され、暗殺されます。享年54。
現在の京都市中京区には、象山遭難之碑が残されています。
ここで順は、若くして未亡人になりました。
しかも、夫を暗殺によって失ったわけですから、その後の人生は決して平穏なものではありませんでした。
⚫︎ 実は順には、その後の人生にも大きな変化があった
興味深いことに、順は単純に「象山の未亡人として一生を終えた女性」ではありません。
象山の死後、山岡鉄舟の門人・村上俊五郎(政忠)と再婚し、娘・欣子をもうけたとする資料があります。
しかし、その結婚生活は長く続かず、離別。
その後、順は兄・勝海舟のもとに戻り、晩年を勝家で過ごしました。
したがって、順の人生は、
勝家の娘
↓
佐久間象山の妻
↓
象山暗殺による未亡人
↓
村上俊五郎と再婚
↓
離別
↓
勝海舟のもとで晩年を過ごす
という非常に波乱に富んだものでした。
⚫︎ この記事が特に強調している「戊辰戦争の逸話」
今回の記事で非常に興味深いのが、瑞枝が官軍に対して毅然と対応したという話です。
明治元年(1868年)、江戸では幕府側の人物の邸宅などに新政府軍が入り込むことがありました。
勝海舟が不在だったとき、勝邸にも官軍兵士が押し入ったと伝えられています。
そのとき、家人が恐れている中で、瑞枝は動じず、官軍側の隊長を説得したという逸話が残っています。
これは現在も勝海舟邸跡の説明などで紹介されています。
つまり、順は単に「偉人の妻・妹」という存在ではなく、自分自身も幕末維新の激動を直接経験した女性だったのです。
⚫︎ なぜ新聞はこの女性の死を記事にしたのか
これは明治40年代の新聞を読む上で面白いポイントです。
現在なら、著名人の親族が亡くなったからといって、必ずしも大きく報道されるわけではありません。
しかし明治期には、
「誰の妻だったか」
「誰の妹だったか」
「どの名門・旧家につながっているか」
が人物の社会的評価を大きく左右しました。
この記事の見出しもまさに、
佐久間象山未亡人
→勝海舟の妹
という「二重の著名人との関係」を前面に出しています。
つまり、新聞にとって瑞枝自身が著名人であると同時に、「幕末史を知る最後の生き証人の一人」という意味もあったと考えられます。
⚫︎ この時点では「幕末」がまだ遠い過去ではなかった
この記事が掲載された明治41年は、1868年の明治維新からまだ約40年しか経っていません。
そのため当時は、
- 勝海舟
- 佐久間象山
- 山岡鉄舟
- 西郷隆盛
- 坂本龍馬
- 吉田松陰
などと直接面識があった人々がまだ生きていました。
順自身も、幕末の激動を「歴史として聞いた人」ではなく、「実際に経験した人」です。
この意味でこの記事は、「幕末を知る女性が一人、この世を去った」という意味も持っています。
⚫︎ まとめ
今回の記事の主人公は、佐久間象山の妻・佐久間順(お順/瑞枝)です。
彼女は、
- 勝小吉の娘
- 勝海舟の妹
- 佐久間象山の妻
- 象山暗殺後の未亡人
- 村上俊五郎の妻
- 勝海舟のもとで晩年を過ごした女性
という、幕末史の重要人物を結ぶ人物でした。
特に重要なのは、「勝海舟の妹が佐久間象山に嫁いだ」という家族関係です。
勝海舟は象山の門人であり、その妹が象山の妻となったため、師弟関係と家族関係が重なっていたことになります。
さらに、戊辰戦争の際に勝邸へ官軍が入った際には、瑞枝が毅然として対応したという逸話も伝わっています。
したがってこの記事は、単なる訃報ではなく、「佐久間象山と勝海舟という幕末の二人の巨人を結んでいた女性が、明治41年に亡くなった」という意味で読むと、非常に興味深い記事です。

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