1908年01月01日 仮名遣いの実施を延期

1908年

(1908年1月1日、都新聞)
 文部省では、改正仮名遣いの実施をさらに1年間延期して、その間に調査を続けるべきだという意見が出ている。しかし、義務教育の延長については、その実施時期が今年4月とすでに決まっている。そのため、遅くとも明治42年度(1909年度)からは、改定した教科書を編纂して使用できるようにしなければならない。そこで文部省としては、今年の春までに、ひとまず改正仮名遣いの方針を確定させる方向に傾いているという。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/202

写真・図引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AGovernment-approved_Japanese_language_textbook_2022-12-25.jpg?utm_source=chatgpt.com

⚫︎ 「改正仮名遣い」とは何だったのか?

明治時代になると、日本では学校教育が全国的に普及します。

すると、ある問題が表面化しました。

それは、「日本語を学校で教えるとき、どのような仮名遣いを標準とするのか?」という問題です。

江戸時代までの日本語では、現在のように全国一律の学校教育によって「標準的な書き方」を教える制度はありませんでした。

明治になって近代的な学校制度が成立すると、全国の子どもに同じ国語を教える必要が生じます。

そのため、

  • 仮名遣い
  • 漢字
  • 文法
  • 発音
  • 国語教科書

などを統一する必要が出てきました。

⚫︎ 明治政府は「国語の標準化」を進めていた

特に重要なのが、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正です。

この時期、文部省は小学校教育における国語教育を整理し、「標準的な日本語を、全国の子どもに教える」という方向を強めていきました。

背景には、近代国家としての日本を作るため、全国民が共通の言語・文字を使用できるようにするという国家的な目的がありました。

つまり仮名遣いの問題は、単なる「文字の書き方」の問題ではありません。

近代日本における国民教育・国民統合の問題でもありました。

⚫︎ なぜ「延期」されたのか?

この記事で面白いのは、文部省内部で「もう1年間延期して、さらに調査すべきだ」という意見が出ていることです。

つまり1908年1月の時点でも、改正仮名遣いについて完全に意見がまとまっていなかったのです。

しかし、もう一つ大きな事情がありました。

それが、「義務教育延長」です。

当時、義務教育の年限を延長する政策が進められていました。

これによって小学校教育を受ける児童がさらに増えるため、新しい教育内容・新しい教科書を整備しなければならないという問題が発生します。

そのため文部省としては、「仮名遣いについて議論が完全に決着していなくても、教科書改訂に間に合うよう、今年の春には一応決定しなければならない」という状況だったわけです。

⚫︎ 「義務教育延長」とは?

ここでいう義務教育延長は、尋常小学校の修業年限を4年から6年へ延長する改革を指します。

1907年(明治40年)3月に改正された小学校令によって、尋常小学校の義務教育期間が4年から6年へ延長されました。

実施は1907年4月からです。

⚫︎ なぜ義務教育を6年に延長したのか?

明治40年(1907年)の義務教育延長には、近代日本の社会が大きく変化していたことが背景にあります。

日露戦争後の日本では、

  • 産業化
  • 都市化
  • 工場労働の増加
  • 技術教育の必要性
  • 国民教育の普及

などが進みました。

4年間の初等教育だけでは不十分だという認識が強まり、「近代国家を支える国民には、より長い初等教育が必要」と考えられるようになったのです。

1907年の義務教育延長は、明治期の教育政策の大きな転換点でした。

⚫︎ 「教科書改訂」と仮名遣いの関係

この記事で非常に重要なのが、「改定教科書を編纂せん考へなれば」という部分です。

つまり、仮名遣いを変更するのであれば、子どもが使う国定教科書そのものを書き換えなければならないわけです。

当時の日本では、1904年(明治37年)から国定教科書制度が実施されています。

そのため、

仮名遣いの変更
→教科書の表記変更
→全国の小学校で新しい表記を教える

という大きな連鎖が生じます。

これは現在よりもはるかに大規模な改革でした。

⚫︎ しかし「仮名遣い改革」は簡単ではなかった

仮名遣いの改革が難しかった最大の理由は、「実際の発音」と「従来の綴り」が一致していなかったことです。

例えば歴史的仮名遣いでは、

  • 「けふ」→ 現代の「きょう」
  • 「てふてふ」→「ちょうちょう」
  • 「おほきい」→「おおきい」

などのように、現在の発音とは異なる表記が存在します。

明治期の国語学者たちは、「文字は実際の発音に近づけるべきではないか」という問題を真剣に議論していました。

しかし一方で、「古典文学とのつながりを保つべきだ」、「長い歴史を持つ日本語の表記を簡単に変えるべきではない」という考えもありました。

したがって、単純な「ひらがなの書き換え」ではなく、日本語そのものをどう表記するかという国語政策上の大問題だったのです。

⚫︎ この時期は「国語改革」が一気に進んでいた

1900年代初頭には、仮名遣いだけでなく、

  • 言文一致
  • 標準語
  • 漢字制限
  • ローマ字
  • 国字改良
  • 発音の標準化

など、さまざまな国語改革論が登場しています。

つまり1908年ごろは、「日本語を近代国家にふさわしい言語としてどう整備するか」という議論が非常に盛んだった時期です。

この新聞記事は、その中の一つである「仮名遣いの標準化」を取り上げています。

⚫︎ まとめ

この記事は短いですが、明治後期の日本の教育政策を考えるうえでかなり重要です。

ポイントは4つです。

① 文部省は仮名遣いを改めようとしていた
 学校教育で使用する仮名遣いを整理・統一しようとしていました。

② しかし改革には反対・慎重論もあった
 1908年1月の時点でも、「さらに1年間調査すべきだ」という意見が出ていました。

③ 義務教育6年制への移行が改革を急がせた
 義務教育延長に伴って教科書を改訂する必要があったため、文部省はいつまでも結論を先送りできませんでした。

④ 国語改革は「国民国家づくり」の一環だった
 仮名遣いの統一は、単なる文字改革ではなく、

全国の子どもに同じ日本語を教えるという近代国家の国民教育政策と深く結びついていました。

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