(1907年3月17日 中外商業新報)
今回の博覧会は規模が非常に大きいため、さまざまな分野に影響が出ている。特に画家たちは、モデル不足に悩まされているという。
これまでは、1日(5時間)で
・裸体モデル:60銭
・半裸体:40銭
・衣服着用:25銭
程度で仕事を引き受ける者が多かった。
しかし現在では、その倍額を支払ってもなかなかモデルが見つからない状況である。やむを得ず、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に交渉し、しばらくの間モデルを借りるといった対応まで行われているという。一方、画家たちは作品が売れるかどうかに関わらず、非常に意気込んで制作に取り組んでいる。
また、美術界では日本美術協会系と日本美術院系が対立し、盛んに水面下で競争しているとも伝えられる。さらに、中には相場をつり上げる者もいるらしい。
◾️ 博覧会ブームと芸術需要の急増
1907年前後の日本では、万国博覧会や国内博覧会が盛んに開催されていました。特にこの時期は、近代国家としての文化・産業の発信が重視され、美術作品の需要が急増します。
その結果、絵画制作に不可欠な人体モデルの需要が爆発的に増加しました。
◾️ 裸体モデルの社会的位置
当時、日本では西洋美術教育の導入により、人体デッサン(特に裸婦像)が重要視されるようになります。しかし、
- 裸体モデルという職業はまだ社会的に安定していない
- 女性が担う場合、倫理的・社会的な偏見が強い
といった事情から、供給が非常に限られていました。
そのため、価格が高騰し「払底(不足)」状態になったのです。
◾️ 美術界の派閥対立
当時の日本画壇では、
- 日本美術協会(伝統・保守寄り)
- 日本美術院(革新・理想主義)
の対立が激しく、これが「暗闘」と表現されています。
この対立は、単なる芸術論争ではなく、国家主導の美術 vs 民間主導の芸術運動という構図でもありました。
◾️ 東京美術学校の役割
東京美術学校は、日本における西洋美術教育の中心であり、
- モデルの確保
- 美術教育の標準化
といった役割を担っていました。
記事にある「モデルの借用」は、当時の制度的な限界と需要の高さを示しています。
■ まとめ
この新聞記事は、一見すると「モデル不足」という小さな話題ですが、実際には次のような重要な時代背景を反映しています。
- 博覧会による文化需要の急拡大
- 西洋美術導入に伴う人体表現の重要性
- 裸体モデルという職業の未成熟さ
- 美術界の派閥対立と競争激化
つまり、近代日本が文化国家として形成される過程で生じた「芸術インフラの不足」を象徴する記事と言えます。

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