1906年04月03日 広軌化 財政的観点から政府は反対

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.72

(1906年4月3日・読売新聞)
 鉄道国有法が公布されたのにともない、「これからは時代の進歩に合わせて、日本の鉄道も順次“広軌”(標準軌)に改められるのではないか」という説が世間で語られている。
 しかし、鉄道作業局長官・平井氏 の話によれば、政府は、主要幹線はもちろん、鉄道国有法によって買収する予定の私鉄17社のいずれについても、広軌へ改めるつもりはまったくない という。世間の広軌論者が唱えているのは結局のところ、「欧米で採用されている最新で最良の方式を日本も導入すべきだ」という意見であろう。確かに広軌にすれば、速度の向上や、貨物をより大量に積めるなど、メリットは明らかである。
 しかし、今の日本の財政では、鉄道を広軌に変更することは到底できない。もし妥協して「現行線路の幅をそのまま広げるだけの簡易広軌」にしたとしても、速度や積載重量について現状と大差なく、大きな成果は得られない。
 よって政府としては、遠い将来はともかく、当面のところ広軌方式を採用するつもりは微塵もない。
そのため、広軌化についての検討も行っていない。政府はただ、谷千城氏らの広軌論を「冷ややかに見ているだけである」と平井局長は明言した。

■ 「広軌」とは何か

 当時の日本の鉄道はすべて 狭軌(1067mm) でした。しかし欧米ではすでに 標準軌(1435mm) が主流で、
  ・速く走れる
  ・重いものを多く運べる
  ・車両の安定性が高い
という理由で「日本も広軌にすべき」との議論が起きていました。この記事は、その議論に対して政府が正式に「反対」と表明したものです。

■ タイミングは“鉄道国有化”直後

 1906年(明治39年)は、日本の鉄道史の大転換点です。
 ▶ 1906年 鉄道国有法の成立
  民間鉄道を買収し、幹線鉄道をすべて国有化しようという政策。鉄道網を国が一括管理することになり、「ならばこの機会に広軌へ変えるべきだ」という意見が生まれました。
  これを唱えたのが、政治家・鉄道学者の 谷千城(たに ちしろ) らです。しかし政府は「金がかかりすぎる」として拒否しました。

■ なぜ広軌化は見送られたのか?

 鉄道を広軌にするには莫大な費用がかかります。
  ・すべての線路の敷き直し
  ・すべての車両を作り替え
  ・橋梁・トンネルの改築
  ・駅のホーム改造
 全国鉄道の全面改修に近い大工事となるため、明治政府の財政ではとても実現できなかったのです。
 この記事でも、局長が
  ・「財政的に無理」
  ・「当面は全く検討していない」
と言い切っています。

■ この決定の影響:日本は“狭軌”のまま100年以上

 この記事に表れている政府方針により、日本の鉄道は21世紀の現在まで狭軌が主流です。例外は新幹線(標準軌)や一部の私鉄のみ。実際、戦後にも何度も広軌論が出ましたが、コストと混乱の大きさから一度も実現していません。
 つまり、この1906年の政府判断は 鉄道史を決定づけた選択 でした。

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