(1906年〔明治39年〕1月28日、中外商業新報)
英国総選挙の結果(ロンドン、一月二十七日午後、ロイター電報)
イギリスの総選挙の結果は次の通りである。
• 自由党 362名
• 労働党 41名
• 国民党(アイルランド国民党) 82名
• 統一党(保守党) 146名
イギリス1906年総選挙とは
この総選挙は、1906年1月から2月にかけて実施されたイギリスの下院総選挙です。当時のイギリスでは、与党の保守党(Conservative Party)が長く政権を握っていましたが、帝国主義的政策と国内社会問題への無策によって国民の不満が高まり、1906年の選挙で自由党(Liberal Party)が圧勝しました。
結果、
自由党:約400議席近く
保守党:約150議席程度に激減
という、史上稀に見る大敗北が起きました。
労働党の歴史的台頭
この記事の核心はここです。この選挙で初めて、労働党(Labour Party)が本格的に議席を獲得しました。「労働党 41名進出」という短い報道ですが、これはイギリス政治史の画期的な出来事を示しています。当時の労働党はまだ成立からわずか6年(1900年に創設された労働代表委員会 LRC)でしたが、自由党と選挙協定を結び(Lib-Lab Pact)、労働者階級の代表として独自候補を擁立。結果、29名の独自当選+自由党系を含め計41名が当選しました。これは、イギリスで初めて「労働者階級が議会で政治的発言権を持った瞬間」でした。
各党の概要(記事中の表記)
| 現代名称(新聞表記) | 概要 |
| 自由党(自由黨) Liberal Party | 当時の中道・進歩的政党。社会改革・自由貿易を主張。 後にアスキス首相・ロイド=ジョージらが活躍。 |
| 労働党(勞働黨) Labour Party | 労働組合や社会主義者が支援。 のちにイギリスの二大政党の一角となる。 |
| 国民党(國民黨) Irish National Party | アイルランド自治(Home Rule)を求める党。 自由党と連携。 |
| 統一党(統一黨) Unionist Party | 帝国主義と保護貿易を支持。 前政権党。 |
日本での受け止め方
当時の日本(明治39年)は、まだ「藩閥政治」が続く時代でした。西園寺内閣が発足したばかりで、政党政治の発展は始まったばかり。そのため、日本の新聞界ではこのニュースを「民衆の力が国政を動かす」、「労働者が議会に進出する」という点で強い関心をもって報道しました。とくに経済紙である『中外商業新報』がこの話題を取り上げたのは、社会階層の変化が経済・産業に影響を及ぼすことを示唆していたからです。
この選挙の結果がもたらしたもの
| 影響 | 内容 |
| 政治 | 自由党政権(キャンベル=バナマン内閣→アスキス内閣)が成立し、社会改革が進む。 |
| 社会政策 | 貧困救済・労働者保護・年金制度など、近代福祉国家の基礎が築かれる。 |
| 労働党 | 国民政党への道を歩み始め、1924年には初の労働党政権(マクドナルド内閣)が誕生する。 |
| 世界史的意義 | 「労働者が議会を通じて政治参加する」という近代民主主義の新段階を示した。 |

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