(1908年1月1日、東京朝日新聞)
明治40年(1907年)における日本国内在住者の人口は、まだ正確には把握できていない。しかし、最近7年間の人口増加数は、1年間平均61万8,161人である。そこで、この平均増加数を今年(明治40年)の人口増加数として仮に計算しても、それほど大きな間違いはないだろう。
この計算によると、明治40年の日本国内の人口は、実に4,926万7,744人となる。これは25年前、すなわち明治16年(1883年)の人口と比べると、1,225万442人の増加である。また、20年前の明治21年(1888年)と比べると、966万510人の増加となる。さらに10年前の明治31年(1898年)と比べても、550万3,899人の増加である。
このような割合で人口が増え続ければ、明治41年(1908年)中には、日本の人口は実に5,000万人を突破するだろう。これまでの人口を示すと、次の通りである。
明治16年(1883) 37,017,302人
明治21年(1888) 39,607,254人
明治26年(1893) 41,388,313人
明治31年(1898) 43,763,855人
明治36年(1903) 46,732,876人
明治39年(1906) 48,649,583人
明治40年(1907) 49,267,744人 ※未確定
つまり、日本の人口はいよいよ5,000万人の大台に手が届くところまで来たのである。
⚫︎ 「5,000万人」は当時の日本にとって大きな節目だった
現在から見ると5,000万人という数字は、日本の人口史の一つの通過点にすぎません。
しかし1908年当時の日本にとっては、非常に象徴的な数字でした。
明治維新から約40年。
日本は、3,700万人 → 約4,930万人へと人口を大きく増やしていました。
記事の数字を整理すると、次のようになります。
| 年 | 人口 | 前回からの増加 |
| 1883 | 3,701.7万人 | ― |
| 1888 | 3,960.7万人 | +259.0万人 |
| 1893 | 4,138.8万人 | +178.1万人 |
| 1898 | 4,376.4万人 | +237.6万人 |
| 1903 | 4,673.3万人 | +296.9万人 |
| 1906 | 4,865.0万人 | +191.7万人 |
| 1907推計 | 4,926.8万人 | +61.8万人 |
この記事の数字では、明治16年から明治40年までの24年間で約1,225万人増加しています。
⚫︎ ただし「日本全体の人口」ではない
ここは、この新聞記事を読む上で特に注意したいところです。
記事は冒頭で、「本邦内地在住の人口」と書いています。
つまり、これは基本的に日本の「内地」人口についての記事です。
1908年当時、日本はすでに台湾を領有していましたし、朝鮮についても1905年以降、日本の統監府が置かれていました。
したがって、この記事の約4,927万人という数字に、現在の意味で「日本帝国全体の人口」を重ねてはいけません。
「日本本土(内地)に住んでいる人々が約5,000万人」
という意味で読むのが適切です。
⚫︎ なぜ明治期に人口が急増したのか?
最大の背景は、近代化に伴う死亡率の低下と出生数の多さです。
江戸時代には、
- 飢饉
- 疫病
- 乳幼児死亡
- 医療の未発達
- 衛生状態の悪さ
などによって人口増加がたびたび抑制されました。
ところが明治時代になると、
- 医療制度の整備
- 種痘など予防接種の普及
- 上下水道・衛生行政の発達
- 食料供給の改善
- 交通網の発達
などが進み、長期的には死亡率が低下していきます。
一方で出生率はまだ高かったため、「死亡する人が減る+子どもが多く生まれる」という状態になりました。
その結果、人口が急速に増えていきます。
⚫︎ 戸籍が日本の人口統計の基礎だった
この記事の数字を理解するうえでもう一つ重要なのが、「国勢調査以前の人口統計」という問題です。
日本では1872年(明治5年)に全国的な戸籍制度に基づく人口調査が行われました。
総務省統計局によれば、これは明治期の人口統計の最初期の資料で、内務省戸籍寮が『日本全国戸籍表』としてまとめています。
その後、1898年(明治31年)からは内閣統計局が戸籍簿を基礎として人口静態統計を作成するようになりました。『日本帝国人口統計』は、その成果をまとめた資料です。
したがって、この新聞記事にある「四十年に於ける本邦内地在住の人口は未だ正確に知悉し能はざる」という表現は、「1907年の人口について、現在のような国勢調査による確定値がまだ存在しない」という意味です。
そこで新聞は、過去7年間の平均増加数を使って「4,926万7,744人」と推計しています。
⚫︎ 実は日本で最初の国勢調査はまだ先だった
日本で初めて全国規模の国勢調査が行われたのは、1920年(大正9年)です。
つまり1908年の時点では、「全国民を同じ基準で実際に数える国勢調査」はまだ行われていませんでした。
実際、1908年には東京市が独自の市勢調査を実施しています。これは第1回国勢調査が事実上延期されたため、東京市が全国に先駆けて実施した人口センサスでした。
したがって、この記事の「未確定」という表現には、当時の人口統計制度そのものの限界が表れています。
⚫︎ 「同胞」という言葉にも時代背景がある
タイトルの「同胞今や五千萬」という表現も興味深いところです。
「同胞」は単純に「人口」という意味ではなく、「同じ国民としてのわれわれ」というニュアンスがあります。
日露戦争(1904~1905年)に勝利した直後の日本では、国民統合や国家意識が強く意識されていました。
その時期に、「われわれ日本人はもうすぐ5,000万人になる」という数字を新年の新聞記事で示すことには、単なる統計紹介以上の意味があります。
「近代国家として成長する日本」を人口という数字で表現しているわけです。
⚫︎ 「大和民族」という表現にも注意
記事には、「我大和民族は実に五千萬以上に達すべし」という表現があります。
これは現代の人口統計記事ではまず使われない表現です。
当時の日本では「大和民族」という言葉が、日本人の民族的・文化的な同一性を表す言葉として使われていました。
ただし、1908年当時の日本はすでに台湾を領有し、朝鮮半島にも強い政治的影響力を及ぼしていました。
したがって、「日本国民=単一の民族」という当時の新聞の表現は、その後の帝国拡大と植民地支配を考えるうえでも注意して読む必要があります。
この記事は「人口5,000万人」という事実だけでなく、明治後期の日本人が自分たちの国家・民族をどのように認識していたかを示す資料でもあります。
⚫︎ まとめ
① 日本の人口が5,000万人に迫った
② 明治維新後、日本の人口は大きく増加した
③ まだ国勢調査の時代ではなかった
④ 「5,000万人」は近代国家・日本帝国の成長を象徴した

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