(1906年4月25日、日本)
このほど、鳥居龍蔵氏の夫人が、たいへん勇敢にも単身でモンゴルへ赴いたことがあり、さまざまな評判を呼んで世間の注目を集めていた。しかし今度は、その夫であり、熱心な人類学・人種学者として知られる鳥居龍蔵氏自身が、学術研究のために夫人の後を追ってモンゴルに向かうことになった。
鳥居氏がモンゴルを訪れるのは今回で九度目である。これまでに台湾に4回、南清(中国南部の苗族地域)に1回、北千島に1回、満州に2回の探検を行ってきた。長いときには1年、短くても4か月以上の旅であったが、今回は少なくとも数年間にわたる覚悟で出発するといわれている。
なお今回は、夫人の君子(きみこ)女史は家庭教師として、鳥居氏本人は王廷顧問として招かれたものであるため、氏も大いに興味を抱き、赴任の準備を急いでいるとのことである。
● 鳥居龍蔵とは
鳥居龍蔵(1870–1953)は、日本近代を代表する人類学・民族学者。明治・大正・昭和期を通じてアジア各地を踏破し、膨大な調査を行った「フィールドワークの巨人」として知られています。
・日本のアイヌ研究
・台湾原住民(高砂族)調査
・中国・満洲・モンゴル調査
・シベリア・サハリン・千島列島調査
など、当時としては驚異的な行動範囲を誇り、日本人で最も活動範囲が広い学者の一人でした。
● この記事が書かれた1906年の状況
1906年は 日露戦争後の東アジアの勢力図が大きく変動した直後 で、ロシア勢力が後退し、満洲・モンゴル地域は国際的関心が高まっていた時期でした。
特に、
・帝政ロシアの後退
・清朝の弱体化
・日本の大陸進出(満洲経営、南満鉄設立など)
・欧米列強の対モンゴル関心の増加
これらにより、モンゴルは学術上も政治上も注目を集めていました。
鳥居の調査は学問的なものとされつつも、日本政府にとっては 人類学・民族学を通じた地域理解や政治情報の収集 という側面もありました。
● 鳥居夫婦が「王廷顧問」「家庭教師」として招かれた理由
当時のモンゴル(外蒙古)は清朝支配下にありましたが、外来の知識人を招いて近代化を進めようとする動きも見られました。
・鳥居龍蔵:王廷の顧問
・鳥居君子:王族子弟の家庭教師
という形で招聘されており、これは単なる調査旅行ではなく、モンゴル上層部と日本知識人の交流の一環でもありました。
● 夫人の単身モンゴル行きが注目された理由
1906年当時、日本の女性が単身で中央アジアへ赴くことは極めて異例であり、社会的にも「勇気ある行動」として話題になったものと思われます。
また、夫婦共にモンゴルで活動するというのも、当時としては非常に珍しいケースでした。


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