(1906年4月11日・時事新報)
日露戦争の結果を踏まえ、将来の軍備の方針として、わが陸軍が各方面で大きな発展を計画するであろうことは、以前から広く予想されていた。聞くところによれば、来年度から着手しようとしている主な事業は次の通りである。
・野砲・山砲(火砲)の改良
・輜重車(輸送車両・補給車)の改良
・満州・韓国方面の鉄道経営
・兵器製造施設の拡張
・鉄道連隊の増設
・気球隊(軍事観測用気球部隊)の新設
・騎兵・砲兵など各兵科制度の拡張や新設
これらの一部はすでに着手されており、前日の紙面に載っていた騎兵・砲兵の新設構想などは、
当局内部で近ごろ盛んに研究されているという。
■ 日露戦争後の軍拡局面(1905〜)
この記事が書かれた1906年は、日露戦争(1904–05)の勝利直後でした。日本は外交的には勝利したものの、戦争中に兵士・物資の不足、ロジスティクスの限界など軍の弱点が多く浮き彫りになりました。
そのため政府・軍部は、「次の大国戦争に備えて近代化と軍備拡張を進める」方針を明確にし、社会でもそれが当然視されていました。
■ 記事に挙がる拡張計画の意味
●野砲・山砲の改良
日露戦争ではロシア軍の火砲が優秀で、日本の旧式野砲は射程・破壊力で劣っていました。その反省から火砲の近代化が急務となった。
●輜重車(輸送車両)の改良
補給の遅れは激戦で大問題となったため、輸送力の強化は必須に。
●満州・韓国の鉄道経営
戦後、日本は
・南満州鉄道(満鉄)
・韓国の主要軍用鉄道
を支配し、これを「準戦略資産」として整備しようとしていました。軍の移動・補給路として極めて重要だった。
●造兵設備の拡張
弾薬不足が戦中の深刻な問題だったため、国内の兵器工場を大幅に増強。
●鉄道隊の増設
鉄道敷設部隊は戦場での輸送線構築のスペシャリスト。日露戦争で重要性が確認され、大幅に増員。
●気球隊の新設
気球は当時、偵察・観測手段として最新技術。欧州列強に倣い、日本も導入へ。
●騎兵・砲兵の制度拡張
軍の根幹となる兵科の規模をさらに増大し、近代化を図る方針。
■ この軍拡の最終的な行き着く先
この記事に見られる軍備拡張は、その後の以下の流れにつながる重要な段階です。
・1907–1910:陸軍大増強計画(「軍拡二個師団増設問題」)
・1910年代:山砲の近代化、航空隊の創設
・1930年代:満州事変〜日中戦争の戦力基盤
つまり、1906年は日本の長期的な軍拡のスタート地点ともいえる年でした。


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