(1906年4月10日・東京朝日新聞)(9日・ロイター電報)
ヴェスヴィアス山の噴火は、その後さらに激しくなり、ポンペイ側の山頂が崩れ、反対側には新しい火口が生じた。複数の火口から、真っ赤に焼けた岩石が噴き上がり、その高さは約三千フィート(およそ900メートル)に達した。
ナポリの街は避難民であふれ、噴火の揺れによって家屋が震動しているため、多くの住民は夜のあいだ市内の広場に集まり、警戒を続けている。
■ 1906年のヴェスヴィアス大噴火とは?
この記事は、1906年4月に起きたヴェスヴィアス山の大噴火を伝えたものです。
ヴェスヴィアス山は、紀元79年にポンペイやヘルクラネウムを埋没させた噴火で有名ですが、その後も周期的に噴火を繰り返していました。
●1906年噴火の特徴
・20世紀初頭としては最大級の噴火
・火山灰と噴煙が約13km上空まで達した
・火砕流・溶岩流・火山弾が噴出
・ナポリや周辺都市が大きな被害
・約200人の死者
・数万人が避難
特にこの噴火は「1906年の大噴火」と呼ばれ、ヴェスヴィアスの活動史の中でも重要な出来事です。
■ 記事に出てくる地名
●ポンペイ(Pompei)
紀元79年の噴火で埋もれた古代都市。1906年の噴火でも周辺が大きく揺れ、火口の崩壊が報じられた。
●ナポリ(Naples / Napoli)
ヴェスヴィアス山の北西にある大都市。1906年の噴火で火山灰が降り、地震のような揺れに襲われた。
この記事の「ネーブルス」はナポリの英語読み “Naples” の当時の表記。
■ なぜ日本の新聞が大きく報じたのか
1906年当時、日本は欧米の自然災害・社会事件を頻繁に報じていました。
理由は:
・欧米の科学・文化を学ぶ関心が高かった
・海外の大災害は国際的ニュースとして価値があった
・ヴェスヴィアスは「ポンペイを滅ぼした火山」として特別な象徴性があった
特にポンペイは当時の考古学ブームの中心地で、再び噴火したニュースは日本でも注目を集めました。


コメント