(1906年6月12日 日本新聞)
去る6月2日、勅令第131号によって、私立学校の取締りに関して、府知事に警察官を指揮する権限が与えられた。これを受けて東京府では、現在、すべての私立学校および不良とみなされる学生について調査を行っている。
今後は、各警察署に命じて、それぞれ適切な処分を取らせる方針であり、調査の結果次第では、学生の中に退学を命じられる者が出る可能性があり、また現在存在する学校の中にも、閉鎖を命じられるものが少なからずあるだろうと見られている。
◾️ 勅令第131号とは何か
この記事が言及している勅令第131号(1906年6月2日)は、私立学校の取締りを強化するため、府県知事に警察権を直接行使させることを定めたものです。
これにより、
・府知事が
・私立学校に対する監督・調査に際し
・警察官を直接動員できる
という、行政と警察の結合が一段と強化されました。
◾️ 背景:日露戦争後の社会不安
1905年に日露戦争が終結すると、日本社会では次のような問題が顕在化しました。
・戦後恐慌への不安
・都市部への人口集中
・青年層・学生層の不満の増大
・社会主義・無政府主義思想の拡散
特に政府は、学生や青年層が政治運動や急進思想に染まることを強く警戒していました。
◾️ 私立学校が警戒対象とされた理由
当時の私立学校には、
・正規の認可や教育水準が不十分な学校
・政治的・思想的色彩の強い講義を行う場
・失業青年や浪人が集まる場所
も少なくなく、政府・警察からは「思想の温床」「風紀紊乱の原因」と見なされがちでした。
そのため、
・私立学校の実態調査
・問題学生の摘発
・場合によっては学校閉鎖
といった強硬策が取られることになります。
◾️ 文部行政と警察権の融合
本来、教育行政は文部省の管轄ですが、この記事が示すように、
・教育問題を
・警察力によって直接統制する
という姿勢が明確に打ち出されています。
これは、
・教育の自由よりも
・治安・秩序・国家安定を優先
する、明治後期国家の統治姿勢を象徴しています。
◾️ 後への影響
この流れは後年、
・学生運動への弾圧
・思想犯取締
・大正期の治安警察法(1900年制定・運用強化)
・昭和期の思想統制
へと連なっていきます。
◾️ 総括
この記事は、単なる行政ニュースではなく、明治後期日本において、教育が警察権によって直接統制され始めた転換点を示す重要な資料です。
私立学校と学生は、国家にとって「育成すべき存在」であると同時に、警戒し監視すべき対象へと位置づけられていたことが、はっきりと読み取れます。

コメント