1906年01月14日 「曙(あけぼの)」=点字新聞発行

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.26

(1月14日付・読売新聞)
盲人の新聞「曙」(発行人は従軍で失明した人)
 目が見えない盲人であっても、文明の恩恵によってそれぞれ教育を受け、ついには新聞まで発行して、普通の人々と同じように知識を交換する機会を持つようになったとは、まことにありがたい時代である。
 鹿児島県出身の**左近允孝之進(さこんじゅう・こうのしん)**という人物がいる。彼は日清戦争(明治27〜28年)に軍曹として従軍し、中国・朝鮮各地を転戦したが、その陣中で視力を失った。しかし、自らの不幸を悲しむよりも、同じ境遇にある人々を思いやる慈善の心から、盲人教育のために力を尽くし、簡便な点字活字などを発明した。
 このたび彼は、神戸市楠町五丁目百八十三番地の邸内にある「盲人点字活版所・大光社」から、『曙(あけぼの)』と題する週刊新聞(毎週土曜日発行)を創刊した。新聞の紙面は普通の新聞よりもやや小さく、四ページ建てで、厚紙を用いている。見たところ、まるで砂をまいたように表面がデコボコしていて、何が書いてあるのか目ではまったく分からない。しかしこれは、六個以内の小さな突起(点)を組み合わせて日本語の五十音を表すものであり、従来から使われているフランス式の点字タイプライターで印刷されたものだという。
 本社(読売新聞)の社員もこの新聞を寄贈されたが、まるで「犬が星を見て天文学を考えるようなもの」で、どうしても理解できない。そこで、すぐに**小石川(現・文京区)の盲唖学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)**へ駆けつけ、小西校長を訪ね、4〜5人の盲学生に交代で読んでもらった。彼らが天井を仰ぎながら、指先で紙面をなでるように読み進めていく声は、まるで滔々(とうとう)と流れる水のようにすらすらと流暢で、我々が普通の新聞を読むのと何ら変わりがない。
 社員一同、その様子に驚嘆した。この新聞『曙』は、まだ創刊号ということで説教めいた記事が多かったが、次号からは小説や雑報など、さまざまな面白い内容を掲載するという。こう聞いているうちに、「盲人の身でさえ、今や新聞を楽しめるとは、なんと羨ましい世の中だ。目が見える私たちも、もっと努力せねばなるまい」という感慨を抱かずにはいられなかった。これにつけても、両の目が見える者は、努力が何よりも肝心である。(記者の署名なし・一記者)

「曙(あけぼの)」とは何か

 この記事に登場する『』は、日本における最初期の点字新聞(週刊誌)です。
  • 創刊:明治30年代前半(記事の日付から見て1903〜1905年頃)
  • 発行地:神戸市楠町
  • 発行所:盲人点字活版所「大光社」
  • 発行人:左近允孝之進(さこんじゅう・こうのしん)
 『曙』は、盲人が自ら編集・印刷・発行した新聞として、日本点字出版史上の重要な出発点です。

発行人・左近允孝之進(さこんじょう・こうのしん)

  • 鹿児島県出身の元陸軍軍曹。
  • 日清戦争(1894–1895)で失明。
  • 戦後、同じように視力を失った戦傷者を支援しようと決意。
  • 点字の改良や簡易印刷法を考案。
  • 神戸で「盲人点字活版所」を創設。
  • 『曙』を発行し、盲人社会への情報提供を始めた。
 彼は、戦傷失明兵による自助活動の先駆者であり、同時に日本における障害者によるメディア活動の草分けと評価されています。

日本における点字新聞の始まり

 日本では、
  • 1890年:石川倉次が「日本点字」を創案。
  • 1891年:東京盲唖学校で初の点字印刷物が発行。
  • 1900年代初頭:民間による点字出版が始まる。
 この『曙』は、そうした流れの中で、国家の教育機関の外から誕生した初の点字新聞でした。以後、1922年に毎日新聞社が創刊した『点字毎日』など、全国的な点字報道の礎となっていきます。

記事の文体と時代の意識

 読売新聞の記事は、明治期特有の啓蒙調と文明礼賛の文体です。「黒白も分からぬ盲人も文明の余沢にて教育を受け」とあるように、「文明の進歩により、障害者も恩恵を受けた」という視点が明確です。ただし、その語り口には「上から目線の慈善的驚き」が残っており、当時の社会がまだ“障害者を対象化して見る”段階にあったことを示します。
 それでもこの記事は、「盲人も社会の一員として新聞を発行し、知識を共有する存在」として描いた点で画期的でした。

社会的背景

  • 明治30年代は、日清・日露戦争を経た社会変動期
  • 戦傷者(特に失明者)が増加し、彼らの生活再建が課題となる。
  • 盲人教育は国家政策として始まったばかりで、民間の支援活動が急増。
  • 神戸は近代的慈善事業が盛んな都市で、印刷技術も発達していた。
 こうした条件が、『曙』という点字新聞の誕生を可能にしたのです。

記事後半のユーモアと結語

 記者は、盲人たちが点字をすらすらと読む姿を見て「天井を仰ぎながら指で紙をなでるように読む」と美しく表現しています。
 最後の「盲人の身の上羨ましき心地して、搞檢校(たくけんぎょう)ならねど、目明は不自由ぢゃなア」という一節は、「目が見えない人でさえ努力して新聞を読むのに、目が見える我々が怠けてどうする」との反省と感嘆の言葉です。記者はこの体験を通して、「努力の大切さ」「知識の尊さ」を読者に訴えています。

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