1906年02月16日 若者に人気広がる新舞踏・つま先ダンス

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.48

(2月16日、時事新報)
 劇場舞踊の教師クロード・アーヴィンが、最近アメリカの新聞記者に語ったところによれば、現在の劇場舞踊は次第に廃れつつあり、今後2年ほどのうちには、ある種の「身体的舞踏(フィジカル・ダンス)」が流行するようになるだろうという。その中でも最も注目されるのが「趾先舞踏(つま先舞踏)」である、と語ったという。
 趾先舞踏とは、その名の通り主につま先で踊る舞踊である。名手ラ・ネウのようになると、階段の上に縦に1本ずつ酒瓶を並べ、その瓶の口の上をつま先で踏んで渡り降りたという話もある。
 この新しい舞踏は、男女とも14、15歳ごろから習い始めるのがよく、まず第一段階として自分の体を曲げたり、屈したりする基本的な訓練を一通り行う。その後、今度は機械の力を借りて、体をさまざまに屈伸させる訓練をするという。機械を用いる際には、しばしば15分から30分もの間、不自然な姿勢のまま体を折り曲げ、苦痛に耐えねばならないこともある。
 しかしその代わり、従来の舞踊が主として長い訓練期間を必要としたのに比べ、以前は5〜6年かかったものが、今では5〜6か月で習得できるようになったという。近ごろ、この舞踏は次第に流行が盛んとなり、上流階級の婦人の中にも習う者がある。身体の発達・育成の点でも効果が少なくないと言われる。

背景解説

 この記事は 明治後期(1900年代初頭) の日本に紹介された 欧米の新しい舞踊(ダンス)ブーム を伝えるものです。ここでは、特に記述されている「趾先舞踏」は、バレエの「ポワント(つま先立ち)」や初期のモダンダンスの身体訓練に近い内容と考えられます。
 当時の欧米では、
  • 古典バレエ
  • 劇場でのショーダンス
  • キャバレー式の軽舞踊
などが広まっていましたが、それらに対して もっと肉体を酷使する身体運動的な舞踊 が注目されはじめていました。

「身体的舞踏」ブームの背景

 19世紀末〜20世紀初頭、以下の流れが起きています。
  1. 体育(フィジカルカルチャー)の流行
   • 欧米上流階級で「健康・身体美」を求める風潮が強まる
   • 体操・身体訓練・サナトリウム文化が普及
  2. 女性の社会進出と身体文化の拡大
   • コルセット文化への批判
   • 自然で健康的な身体運動が勧められる
   • 女性でも体を動かす活動が社会的に肯定され始める
  3. モダンダンスの誕生(イサドラ・ダンカンなど)
   • 形式的なバレエに反対し、自由で身体表現的な舞踊が注目
   • 「身体そのものの訓練」が重視される
この記事に出てくる「機械を用いた屈伸訓練」は、当時欧米で流行していた 身体矯正器具やトレーニングマシン(スウェーデン体操、ミュラー式身体法など)の影響とみられます。

「5〜6年かかったものが5〜6か月で習得できる」

 これは、
  • バレエの長期訓練に比べ、
  • 新しい身体訓練法なら短期間で踊りが身につく
という「近代的合理性」をアピールした内容で、当時の人々にとっては非常に魅力的な売り文句でした。

「上流婦人が習うようになった」

 この部分は、ヨーロッパ貴婦人の間に広がった “フィジカル・カルチャー(健康体操)” の流行 を日本に紹介したものです。

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