1906年02月17日 第二回 陸軍大歓迎会 開かれる

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.48

(2月17日、東京朝日新聞)
 東京市が主催する第二回陸軍凱旋大歓迎会は、昨日開会した。この歓迎会は、先に挙行した第一回の歓迎会の後に帰還した、野津・奥・乃木・川村の各軍司令官、その幕僚、第一師団司令部の士官、およびその指揮下の各部隊を対象として催されたものである。
 式の順序は、まず各軍司令官をはじめ全ての部隊が上野公園に集合し、そこから「凱旋大行軍」を行って大通りを進み、日比谷公園へと入場して、そこで歓迎会を挙行するという段取りであった。この予定は少しの不備もなく実施され、東京市民が大いに満足したところである。
 さて、平和の曙光に照らされた昨日の天気は、この頃には珍しいほどの快晴で、朝のうちはやや強い風があったものの、時間がたつにつれて風もまったく吹かなくなった。あたりにはまだ残雪があったが、春の気配が自然とわき起こり、歓迎会にはこれ以上ないほどの好条件となったのは、実に幸運であった。
 また東京市内の装飾は見事に整えられ、道路は隅々まで清掃され、東京市を南北に貫く大通りの家並みの飾り付けの美しさは、まるで百花がいちどに咲き誇ったかのようであった。市民はその見事さに驚嘆し、「よくもここまで…」と感嘆し合うほか言葉もないほどであった。(以下略)

日露戦争の「凱旋歓迎」イベント

 この新聞記事は 日露戦争(1904–1905)後の凱旋行事 を報じたものです。
  • 日露戦争は1905年9月のポーツマス条約で終結
  • 1906年前後に、帰還する各部隊・司令官を対象に「凱旋大行列」「歓迎会」が全国で開催
 この「第二回陸軍大歓迎会」は、第一回の後に帰還した軍司令官・部隊向けの追加開催 にあたります。
 記事に挙げられている軍司令官:
  • 野津道貫(第二軍司令官)
  • 奥保鞏(第三軍司令官)
  • 乃木希典(第三軍 → 後に旅順攻略で有名)
  • 川村景明(第一軍司令官)
いずれも日露戦争を代表する主要将官であり、当時国民的人気が非常に高かった人物です。

東京市が総力をあげた祝賀ムード

 記事では、
  • 上野公園に全軍集合
  • 大通りを練り歩く「凱旋大行軍」
  • 日比谷公園での大歓迎会
  • 市内の全面的な装飾
  • 道路清掃
  • 東京市民の熱狂
などが詳しく描かれています。これは当時の日本全体が「日露戦争の勝利と和平」「列強への仲間入り」に沸き立っていた空気をよく示しています。

凱旋行軍=世紀の大イベント

 日露戦争は国力を極限まで使った戦争で、国民の疲弊も大きかったため、
  • 戦勝ムード
  • 軍人への感謝
  • 国民統合の儀式
として、この種の式典は極めて盛大に行われました。特に東京は「帝都」であることから、この種の行事は大規模かつ華美になりがちで、装飾の描写も当時の高揚感を象徴しています。

“平和の曙光”という表現

 記事の文中で繰り返される 「平和の曙光」 という語は、戦争終結後の安堵と希望を象徴する典型的な表現で、明治後期の言論にも多用されました。

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