1905年12月31日 ロシア革命、ついに失敗 党の指導者ら、すべて逮捕さる

1905年

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.556

(1905年(明治38年)12月31日、東京朝日新聞)(29日、ワシントン発電報)
 モスクワにおいて、革命党の指導者たちはすべて逮捕された。革命党員たちはどうしても大砲を手に入れることができず、今ではただ少数の過激派が、なおも軍隊に対して抵抗を続けているにすぎない。
 ペテルブルク(サンクトペテルブルク)およびワルシャワにおける同盟罷業者(ゼネストを行う労働者たち)の勢いも、もはや以前のような勢いは見られない。

1. 1905年ロシア革命の最終局面

 この記事が伝えているのは、1905年ロシア革命(第一次ロシア革命)のうち、12月のモスクワ蜂起の鎮圧によって、革命運動がほぼ壊滅したことを報じています。この時期のロシアでは、1月の「血の日曜日事件」以来、全国で労働者・農民のストライキや暴動が続発していましたが、12月のモスクワ蜂起をもってその第一波が終息しました。

2. 「モスクワ蜂起」の経過

  • 発端: 労働者評議会(ソヴィエト)が呼びかけたゼネスト(全国同盟罷業)。
  • 目的: 皇帝専制(ツァーリ体制)の打倒、労働条件の改善、憲法制定議会の開催要求。
  • 展開: 革命党員・労働者たちは武装蜂起し、市街にバリケードを築き、軍と交戦。
  • 結果: 政府軍の砲撃・機関銃によって鎮圧され、多くの指導者が逮捕または処刑された。
 この記事は、その「起鎮圧と指導者逮捕」を伝えています。

3. 「革命党の領袖悉く逮捕」とは誰か

 ここでいう「革命党の領袖」とは、社会主義政党の指導者たちを指します。
 とくに:
  • 社会民主労働党(ボルシェヴィキ・メンシェヴィキ)
  • 社会革命党(エスエル)
  • 労働者ソヴィエトの指導層
などが含まれます。
 このとき、のちのソヴィエト指導者たち(例:レーニン、トロツキー)も地下活動中で、一部は逮捕・投獄・亡命を余儀なくされました。

4. 「大砲を得られず」とは何を意味するか

 モスクワ蜂起では、革命側が軽火器(拳銃・ライフル)しか持たず、政府軍の重砲・機関銃に太刀打ちできませんでした。
 記事中の「大砲を手に入れる能わず」は、革命側の敗北を象徴する表現です。一部の工場労働者は機関銃を奪取しようと試みましたが、兵器庫の制圧に失敗したため、戦力の差は歴然でした。

5. 「ペテルブルクやワルシャワの罷業沈静」

 ペテルブルク(当時のロシア帝都)やポーランドのワルシャワでもゼネストや反政府デモが続いていましたが、12月末には次第に勢いを失っていきました。政府が武力で各地の運動を鎮圧し、新聞検閲や大量逮捕によって革命運動は封じ込められました。
 この記事が報じるように、「革命はもはや終わった」と世界各国で認識され始めたのです。

6. 日本から見た「ロシア革命報道」

 このニュースが日本の新聞で大きく報じられたのは、当時日本が日露戦争の勝利国であり、敵国ロシアの国内崩壊は格好のニュースだったためです。日本の報道はしばしば誇張的で、「ロシア帝国は瓦解寸前」「革命成功間近」などと報じていましたが、実際にはこの時点で革命運動は鎮圧され、ロシア帝政は体制を立て直します。(ただし、10年後の1917年には本格的な革命=二月・十月革命でツァーリ体制が崩壊します。)

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