〔明治38年10月29日、日本新聞〕
明治33年(1900年)に公布された「農会令」が、今回の勅令第225号によって改正された。従来の規定は附則を含めても26条に過ぎなかったが、改正令では39条となり、農会の設立方法、代表者の組織や選出・任期、会長の職権などについて新しい規定が盛り込まれた。
改正の要点と考えられる点は、旧令第21条を削除し、「農会が自ら解散を決議することができない」ようにしたこと、また改正令第7条で「農会が設立されたときは、その区域内で農会を組織すべきすべての者は、自動的に加入したものとみなす」と定めたことである。つまり、旧令第6条で認められていた「地方長官が必要と認めた場合に、加入していない者に加入を命じる」規定は廃止された。改正令は、農会の区域内に属する者は当然に加入者と認めることを定めたのである。
また、改正令第2条では「農会は法人である」と規定し、旧令で認められていた「法人としない例外」を廃止した。これは前述の強制加入規定と合わせ、農会を抜本的に刷新する狙いを示すものといえよう。
なお、この改正令は公布の日から施行され、すでに存在する農会は翌年2月末までに新しい規定に基づいて総会を開かなければならないとされた。詳細は昨日の官報を参照されたい。
1. 農会とは何か
• 農会は、明治政府が農業の振興・指導を目的に設けた半官半民の組織。
• 県ごとや市町村ごとに設置され、農事改良、品種改良、施肥や農具の普及などを推進。
• 当時の農政は官主導であり、農会もまた「農民のための団体」であると同時に「国家の農業政策を末端まで浸透させる装置」でした。
2. 改正の狙い
今回の改正のポイントは以下の通りです。
①解散禁止
• 農会が自分で「もうやめる」と決議することを認めない。つまり農会は「存続が義務づけられた半永久的な組織」になった。
②強制的な全員加入
• 農会区域にいる農業関係者は、自動的に会員とされる。加入・非加入の自由はなくなった。
③法人格の付与
• 農会を必ず「法人」とすることで、財産の所有や契約行為を可能にし、組織としての責任と力を強化した。
これにより、農会は「任意的な団体」から「国家に組み込まれた公的性格の強い団体」へと性格を変えました。
3. 背景にあるもの
• 日露戦争直後(1905年):国家財政は逼迫しつつも、農業は依然として国力の基盤。食糧供給や輸出作物の生産を安定させる必要がありました。
• 政府は農業を効率よく近代化・指導するために、農会を「地域の農政末端機関」として位置づけ直したのです。
• 農民の自主的な団体というよりは、むしろ国家による農民統制の一環となったといえます。
4. その後の展開
• 農会制度は強化されていき、戦時体制下では「産業組合」「農業会」と統合され、最終的には戦時統制機関化していきます。
• この記事は、その「農会強制加入化・官僚的統制化」の第一歩を報じた重要なニュースでした。


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