(明治38年〔1905年〕10月30日、東京朝日新聞)
時事小言(朝鮮のこと)
▲片方では義兵の反乱が起きているかと思えば、もう一方では皇帝のお気に入りである李容翊(イ・ヨンイク)がフランスに逃亡し、さらに宮廷の密使・李基鉉(イ・ギヒョン)なる人物が仁川で捕らえられるなど、朝鮮ではやはり朝鮮らしい事件が絶えないようだ。
▲この李基鉉の「使命」というのも大げさなもので、名目は「独立運動のために外国に行く」という話らしい。「独立運動」とはもっともらしい言い方だが、もともと朝鮮人の頭で独立という意味を理解できるはずもない。彼もまた朝鮮式のしたたかな人物で、皇帝の財布を食い物にするための芝居を打っているに違いない。あるいは何かの事情で一時的に国外逃亡を企てたのか、とにかくろくな人物ではないことは間違いない。
▲しかし、どんなにろくでもない人物であったにせよ、日本との関係を無視して「独立運動」などと称する以上は、立派な反逆者だ。我が憲兵が彼を朝鮮から離れる前に逮捕したのは当然の処置である。もし取り調べの結果、他にも関係者がいると分かったなら、次々と処罰していくべきである。
▲もっとも一方から見れば、日韓の今日の関係はきわめて複雑で、曖昧で、はっきりしない。日本の側はそれでよいのかもしれないが、朝鮮人の側はまだ全く納得しきれていない。もともと世界の情勢にも、諸外国との関係にも全く暗い朝鮮人のことだから、このように複雑で面倒な制度の実態を理解できるはずがない。
▲その結果、彼らは機会さえあれば役にも立たない妄動や小細工を試みる。今さら「独立運動」と言ってみても大笑いするしかないが、朝鮮人はとにかくそれを口実にいろいろと策を弄するのが常である。そしてその度ごとに、日本も多少は相手をせざるを得なくなる。まったく厄介千万な話である。
この記事は 日露戦争(1904–1905)終結直後の朝鮮半島情勢を扱っています。背景には以下の事情があります。
1. 日露戦争後の朝鮮半島情勢
• 1905年、ポーツマス条約で日露戦争は終結。日本は朝鮮に対する優越権を国際的に承認させました。
• 同年11月には「第二次日韓協約(乙巳条約)」が結ばれ、韓国は外交権を日本に奪われ、事実上の保護国化が進みます。
2. 朝鮮内部の混乱
• 皇帝高宗の周囲には、親露派や親米派の官僚・知識人がいて、日本に対抗するため外国に助けを求める動きがありました。
• 記事に出てくる 李容翊(イ・ヨンイク) は高宗の側近で、フランスに逃亡。
• 李基鉉(イ・ギヒョン) は高宗の密使で、外国に朝鮮独立を訴えようとして仁川で逮捕された人物です。
3. 「独立運動」の嘲笑
• 日本の新聞(特に朝日新聞などの主流紙)は、当時の朝鮮人による独立運動を「無知」「詐欺まがいの行為」として取り上げ、まともに扱いませんでした。
• この記事でも「朝鮮人は独立の意味を理解できない」と露骨に差別的な表現を用い、独立運動を冷笑しています。
4. 日本側の意図
• この記事は、日本の支配を正当化するために「朝鮮は自立能力がない」「日本が導いてやらなければならない」という論調を展開しています。
• これはまさに、翌月の 乙巳条約締結(韓国外交権の剥奪) を正当化する世論形成の一環とみることができます。


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