〔9月27日、官報〕
日英協約
日本国政府とイギリス政府は、1902年1月30日に両国間で締結された協約を、新しい条約に改めたいと希望した。
その目的は次の通りである。
1. 東アジアおよびインド地域における全体の平和を確保すること。
2. 清(中国)の独立と領土保全、さらに列強諸国が中国で商工業を営む際の「機会均等」の原則を確実にして、列強の共通利益を維持すること。
3. 東アジアおよびインド地域における日英両国の領土権を守り、同地域における両国の特別な利益を防護すること。
以上を目的として、次の条項を取り決めた。
第一条
日本またはイギリスのいずれかにおいて、この協約前文に記された権利や利益が危機にさらされると認められるときは、両国政府は互いに十分に、かつ誠意をもって通告し、その権利や利益を守るために取るべき措置を協力して検討するものとする。
(以下略)
これは「第二次日英同盟」(1905年改訂)を伝える記事です。
1902年に結ばれた最初の日英同盟は、主に「清の独立維持」と「日本・イギリスの中国における利益保護」を目的にしていました。しかしその後、日露戦争(1904–1905)を経て、国際情勢が大きく変わったため、同盟を強化・改訂する必要が生じました。
1. 対象地域が拡大:従来は主に「東アジア」でしたが、改訂により「インド」も含まれるようになり、実質的にアジア全域の安全保障同盟に発展しました。
2. 協力の深化:一方の国の権益が脅かされた場合、互いに協力して対応する義務が明確化されました。
3. 清国(中国)の扱い:形式上は「独立と領土保全」をうたいつつ、実際には列強による「勢力圏分割」を正当化する側面もありました。
日露戦争直後に結ばれたため、日本にとっては「列強の正式な仲間入り」を示す国際的承認でした。イギリスにとっても、アジアにおける最大の脅威はロシアであり、日本との協力はインド防衛の観点から極めて重要でした。この協約により、日英はアジアにおける安全保障体制を強化し、列強による「中国問題」や「インド防衛」に対して共同歩調を取ることになりました。
要するにこの記事は、日英同盟の強化=日本が名実ともに国際列強の一角として認められた瞬間を伝えているものです。
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