(1906年5月7日 官報)
辞令(明治39年5月5日)
海軍大佐 八代六郎
海軍少佐 百武三郎
海軍技師 木村駿吉
逓信技師・工学博士 浅野応輔
通信事務官 田中次郎
以上の者は、ドイツ帝国ベルリンにおいて開催される万国無線電信会議に、日本政府代表の委員として出席するよう命ぜられた。(各通)
また、逓信技師・工学博士 浅野応輔 には、公務のため欧米各国へ出張を命ずる。
◾️ 万国無線電信会議とは何か
この記事が伝える「万国無線電信会議」とは、1906年(明治39年)にドイツ・ベルリンで開催された国際会議で、正式には第1回国際無線電信会議(International Radiotelegraph Conference)と呼ばれるものです。
この会議は、
・無線電信(ラジオ通信)の国際的な利用が急拡大する中で
・各国が勝手に電波を使うことによる混乱を防ぐため
通信方式・呼出符号・運用規則を国際的に統一することを目的として開催されました。
◾️ なぜ日本が重視したのか
日露戦争(1904–05)では、
・無線電信が艦隊間通信や情報伝達に決定的役割を果たし
・日本海海戦でも重要な軍事技術となりました
その直後に開かれたこの会議は、無線電信が「国家の安全保障と外交の中枢技術」になったことを象徴しています。
日本にとっては、
・戦勝国として国際舞台に立つ
・新技術分野で欧米列強と対等に発言する
という意味でも極めて重要でした。
◾️ 参加者の顔ぶれの意味
委員には、
・海軍将校(大佐・少佐・技師)
・逓信省(通信行政・技術担当)
・通信事務官(制度・実務)
が選ばれています。
これは、無線電信が
・軍事技術であると同時に
・国家通信インフラであり
・国際法・条約の対象
であったことを示しています。特に注目されるのが、逓信技師・工学博士の浅野応輔で、彼は日本の無線通信技術・制度整備を担う中心人物の一人でした。
そのため記事の末尾では、会議出席にとどまらず、欧米各国への広範な視察・調査が命じられています。
◾️ この会議の成果
このベルリン会議では、
・無線通信の国際規則
・船舶無線の義務化の基礎
・呼出符号・通信手続の統一
などが合意され、後の
・国際電気通信連合(ITU)
・国際無線通信法制
へとつながっていきました。
日本がここに正式代表団を送り込んだことは、「近代技術国家」として国際秩序形成に参加した最初期の例
の一つと評価されます。
◾️ 官報記事としての性格
この記事は論評を一切加えず、
・辞令
・人名
・任務
のみを簡潔に記していますが、その背後には
・日露戦争後の国際的地位上昇
・無線電信という最先端技術への国家的関与
・軍・官・学の連携
という、明治国家の技術外交戦略が明確に読み取れます。
◾️ 総括
この官報記事は一見すると単なる人事発表ですが、実際には「日本が世界の通信ルール作りに参加し始めた瞬間」を記録した重要な史料です。無線電信という新技術をめぐる国際秩序に、日本が正式に加わったことを示しています。


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