(1908年1月22日・東京朝日新聞)
進歩党・大同倶楽部・独興会の三派では、政府に対する不信任決議案を提出することになったことは別報の通りである。
独興会では、進歩党から送られてきた決議案の草案について協議した。この案は、財政政策や外交政策など数項目を挙げて政府への不信任を表明するものだったが、独興会では、もう少し穏やかな表現の決議案を提出しようとする意見もあった。
また、独興会の中には「大同倶楽部の後について行くような形になるのは面白くない」とする者もいたため、他党の動向にかかわらず、独興会だけで単独提出することに決定した。
そこで、進歩党とこの問題について協議するため、島田三郎・花井卓蔵・小川平吉・山口熊野・菊池武徳の5人を委員として、院内の進歩党事務室を訪問した。そして交渉した結果、進歩党もこの提案に同意することになった。
その後、三派の代表者が決議案の提出者となり、進歩党員は全員が賛成者となり、独興会からも所定の議員が賛成者となって、昨日、議長の手元に正式に提出した。
当初は、これを緊急動議として直ちに議場に提出するという意見もあった。しかし、それでは反対派によって否決される恐れがある。しかも、すでにこの問題が秘密裏に進められていることが知られるようになったため、むしろ正式に議事日程へ載せ、正面から審議する方がよいということになった。
こうして昨日、ついに決議案の提出に至った。その時期については、首相の演説後に提出することとされていた。一方、大同倶楽部については、三派が完全に一致することに反対する者もいたが、最終的には実際の成り行きに任せることになったようである。
写真・図引用:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6480?utm_source=chatgpt.com
この記事は、第24回帝国議会(1908年)の冒頭で、西園寺公望内閣に対する不信任決議案が提出される直前の政党間交渉を報じたものです。
当時の最大の争点は、日露戦争後に膨張した国家財政でした。西園寺内閣は財政の立て直しのため、明治41年度予算で増税を計画しました。これに対して野党側は、「政府は以前、非増税・非募債の方針を掲げていたのに、それを変更して国民に重い負担を課そうとしている」と批判しました。
実際、1月23日の衆議院本会議では、島田三郎らが政府不信任決議案を提出し、理由として過大な財政計画、方針変更、増税などを問題にしています。
これに対して政府側の大蔵大臣・松田正久は、財政計画の変更は無責任なものではなく、海外経済の状況などを考慮した「やむを得ない」措置だと反論しました。むしろ将来の財政基盤を安定させるために、歳出の繰り延べと増収策を組み合わせたのだ、と説明しています。
興味深いのは、この記事が示すように、反政府側も一枚岩ではなかったことです。進歩党・大同倶楽部・独興会という異なる政治勢力が、政府不信任という一点で共同歩調を取ろうとしていました。独興会が大同倶楽部への追随を嫌ったという記述からも、各派の主導権争いが見えてきます。
なお、この不信任決議案は最終的に衆議院で否決されました。政府側は、増税問題をめぐる野党の批判を受けながらも、財政政策を維持しました。
⚫︎ まとめ
この記事のポイントは、日露戦争後の財政負担をめぐって、西園寺内閣と衆議院の対立が激しくなっていたことです。
特に重要なのは、
- 政府が財政再建のため増税を計画
- 野党が「政府の方針転換だ」と批判
- 進歩党・大同倶楽部・独興会が不信任決議案で共同歩調
- ただし三派の間にも主導権をめぐる思惑の違いがあった
という構図です。
つまり、この新聞記事は単なる「不信任案提出」のニュースではなく、日露戦争後の日本で、戦争によって拡大した国家財政を誰が、どのような方法で負担するのかをめぐって、政党政治が本格的に対立していた場面を伝えています。


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