(1907年6月30日・中外商業新報)
過去半年間の株式相場の上下動は、日本市場でも前例のない大混乱であり、熱狂的な投機と悲惨な暴落が入り混じった、空前の大騒動であった。昨年後半から始まった株式ブームは、新年を迎える頃にはさらに加熱し、人々は常識を失うほど熱狂した。
⚫︎1907年1月17日には、日本郵船 が155円、東京株式取引所株 が780円という最高値に達した。しかし、その後情勢は一変し、暴落に次ぐ暴落となった。少し値戻りすると、すぐさらに大暴落を招き、市場の人気は日ごとに冷え込んでいった。
⚫︎3月中旬には外債借換えの成功などで多少落ち着く気配もあったが、大勢は簡単には回復しなかった。さらに砂糖業界の破綻をきっかけとして、各方面で経営破綻が相次ぎ、銀行は融資に慎重となり、金融は極度に引き締まった。その結果、株価はさらに下落した。
⚫︎4月上旬には底打ちのようにも見えたが、銀行の破綻や取り付け騒ぎが続出し、中旬には再び奈落の底へ落ち込んだ。
⚫︎5月になっても相場下落は止まらず、「財界救済」を求める声が高まったが、下落傾向は容易に止まらなかった。5月17日には、鐘淵紡績 が100円、富士瓦斯紡績が75円という安値を記録した。
⚫︎6月中旬にはやや持ち直したものの、再び下落し、多くの株が最安値を更新した。
こうして株式市場の不況は一般経済へ波及し、新事業の中止だけでなく、大恐慌を引き起こす恐れすら出てきた。そのため、大銀行家や財政当局者たちは危機感を強め、金融緩和策を講じ始めた。そして、ようやく相場は底を打ったかのような気配を見せ、6月末を迎えた。
(後略)
写真・図引用:https://shikiho.toyokeizai.net/news/0/231714?utm_source=chatgpt.com
◾️ 日露戦争後の「成金ブーム」
この記事は、1907年前後の日本で起きた「戦後バブル崩壊」を伝えています。
背景には、日露戦争があります。
◾️ なぜ株ブームが起きたのか
①戦争景気
戦争で:
- 軍需産業
- 海運
- 重工業
- 紡績
などが急成長しました。
→「日本は列強になった」という熱狂
戦争勝利後、
- 日本は強国になる
- 企業は無限成長する
という空気が広がります。
→株式投機ブームが発生
②「成金」の誕生
この時代に流行した言葉が、成金(なりきん)です。
急激な株高で:
- 一攫千金
- 投機家
- 新興富裕層
が大量出現しました。
◾️ なぜ暴落したのか
① 過剰投機
実態以上に株価が上昇。
特に:
- 鉄道
- 海運
- 紡績
が異常高騰。
② 戦後不況
日露戦争後:
- 軍需縮小
- 財政悪化
- 消費停滞
が進行。
③ 金融引締め
銀行が:
- 融資停止
- 回収強化
を始めた。
これで投機資金が枯渇。
④ 世界的金融危機の前兆
1907年は世界的にも、1907年恐慌へ向かう時期でした。
特に:
- アメリカ金融市場不安
- 金本位制下の資金逼迫
が日本にも波及しました。
◾️ 「取り付け騒ぎ」とは
記事中の銀行の破綻や取り付けとは、「預金者が一斉に銀行へ殺到し、現金引出しを求めること」です。
現代の:
- 銀行危機
- 金融パニック
と同じです。
◾️ 当時の日本経済の脆弱性
まだ日本は:
- 資本市場が未成熟
- 中央銀行制度も弱い
- 投機規制が不十分
でした。
そのため、「熱狂 → 崩壊」が極端になりやすかった。
◾️ 「成金没落」は社会現象だった
当時の新聞・小説には:
- 一夜で大金持ち
- 一夜で破産
- 自殺
- 夜逃げ
などが頻繁に登場します。
これは後の:
- 大正投機時代
- 昭和金融恐慌
にも繋がる日本近代経済の原型でした。
◾️ まとめ
- 日露戦争後、日本で投機熱が爆発
- 株価が異常高騰し「成金」が続出
- 1907年に暴落へ転換
- 銀行破綻・金融引締めで恐慌寸前に
- 日本近代資本主義の脆弱さが露呈した
この記事は、「日本最初期の本格的株式バブル崩壊」を記録した史料の一つです。


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