1907年03月21日 義務教育=六か年となる

1907年

(1907年3月21日・官報)
(勅令)
天皇は、枢密院に諮問した結果、小学校令の改正を決定し、これを公布する。
              (御名御璽)
                明治40年(1907年)3月20日
                  内閣総理大臣 西園寺公望
                  文部大臣 牧野伸顕

勅令第52号 小学校令の改正内容
  ・第13条は削除する。
  ・第18条
   尋常小学校の修業年限は6年とする。
   高等小学校の修業年限は2年とする。ただし延長して3年とすることもできる。
  ・第19条
   尋常小学校の教科は以下とする。
   修身(道徳)、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操
   女子にはこれに加えて裁縫を教える。
   また地域の状況に応じて手工(工作)を加えることができる。
(以下略)

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/140

写真・図引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/教育ニ関スル勅語

◾️ 義務教育6年制の確立

この勅令は、日本の教育制度史における大きな転換点です。

もともと学制では就学制度は定められていましたが、

  • 就学率が低い
  • 地域差が大きい

という問題がありました。

その後、小学校令の改正を重ね、1907年に義務教育6年制が確立します。

◾️ 日露戦争後の国家政策

この改革の背景には日露戦争後の国家方針があります。

戦後の日本は

  • 国力強化
  • 国民統合
  • 軍事・産業の近代化

を急務としており、その基盤として国民教育の充実が求められました。

つまり教育は、「強い国家を作るためのインフラ」と位置づけられていたのです。

◾️ 教育内容の特徴

この改正から読み取れるポイント

● 国家主義的教育

  • 「修身(道徳)」が最重要科目
  • 忠君愛国・規律重視

これは後の教育勅語の思想と一致します。

● 実用教育の導入

  • 手工(工作)
  • 裁縫(女子)

など、生活・労働に直結する教育も重視されました。

● 男女差の存在

女子にのみ裁縫が課されている点から、

  • 性別役割分担(良妻賢母思想)

が制度として反映されています。

◾️ 制度的完成への道

この1907年改正により、

  • 義務教育6年
  • 教科体系の整備

がほぼ完成し、現在の小学校制度の原型が成立しました。

■ まとめ

この勅令の意義は次の通りです。

  • 義務教育が4年→6年へ延長され制度が確立
  • 国家主導の教育体制が強化
  • 道徳・国家意識を重視する教育内容
  • 実用教育と性別役割が制度化

つまり、近代日本の「国民を育てる教育制度」が完成した重要な転換点です。

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