(1907年7月5日・時事新報)(7月3日 京城発)
去る7月2日、5か条から成る徴兵令(募兵令)が公布された。
その概要は次の通りである。
・韓国男子は17歳から40歳まで兵役義務を負う。
・現役兵は18歳から25歳までの志願者によって構成する。
・予備役は現役を終えた者とする。
・国民兵は、現役および予備役経験者によって編成する。
写真・図引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Namdaemun?utm_source=chatgpt.com
◾️ これは「徴兵制」か「募兵制」か
この記事では、募兵令と書かれています。
つまり実態としては、完全な強制徴兵制ではなく、
- 志願兵中心の近代軍制
を整備しようとしたものです。
ただし、「17歳〜40歳に兵役義務」という文言があり、形式上は徴兵国家への移行を目指していました。
◾️当時の韓国(大韓帝国)の状況
1907年の大韓帝国は極めて不安定でした。
背景には:
- 日露戦争後の日本の影響拡大
- 統監府設置
- 内政混乱
- 地方反乱
があります。
◾️ なぜ軍制改革が必要だったのか
① 国家主権維持
大韓帝国は:
- 「独立国家」であること
- 自前の軍隊保持
を国際的に示す必要がありました。
② 義兵・暴動対策
当時地方では:
- 排日運動
- 義兵闘争
- 地方反乱
が拡大。
政府は治安維持能力を必要としていました。
③ 近代国家化
19世紀末以降:
- 日本
- 清
- ロシア
はいずれも近代徴兵制を導入。
韓国も、「近代国家らしい軍隊」を目指していました。
◾️ しかし、現実には困難だった
① 財政難
近代軍には:
- 給料
- 武器
- 制服
- 訓練
- 兵営
が必要。
しかし当時の大韓帝国財政は深刻でした。
② 日本の統監政治
1905年以後、伊藤博文率いる統監府が実権を握り始めます。
そのため韓国軍は、独立軍ではなく、
- 半ば制限された存在
になっていました。
◾️ 1907年最大の転機
この年には、ハーグ密使事件が起きます。高宗が密使をハーグへ派遣し、日本支配の不当性を訴えました。
しかし失敗。
その結果:
- 高宗退位
- 韓国軍解散(同年7月)
へ進みます。
◾️ つまりこの記事は「解散直前」
非常に重要なのは、この記事が「韓国軍解散直前」の時期であることです。
実際には、1907年7月末、大韓帝国軍は日本によって大部分解散されます。
◾️ 軍解散後に何が起きたか
解散軍人の一部は:
- 義兵運動
- 武装抗日闘争
へ流入。
これが後の:
- 抗日武装運動
- 独立軍
の源流になりました。
◾️ まとめ
- 1907年、大韓帝国が募兵令を公布
- 近代国家型軍隊の整備を目指した
- 背景には治安悪化と国家存続危機
- しかし財政・統監府支配で実現困難
- 同年のハーグ密使事件後、韓国軍は解散へ向かう
この記事は、「大韓帝国が独自軍制を維持しようとした最後期」を示す重要史料である。

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