(1907〈明治40〉年9月22日『日本新聞』)
ドイツの企業シーメンス社は、これまで日本へ電気機器や電気設備を販売して大きな利益を上げてきた。さらに同社は、足尾銅山と特約を結び、その銅を原材料として日本国内に電線工場を設立し、アメリカ製電線との競争に乗り出す計画であるという。
⚫︎ シーメンスとは
記事に登場するシーメンスは、1847年にドイツで創業した世界有数の電機メーカーです。
創業者のヴェルナー・フォン・ジーメンスは、電信技術や発電・送電技術の発展に大きく貢献しました。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、シーメンスは
- 発電機
- モーター
- 電車用電気設備
- 通信機器
- ケーブル・電線
などを世界各国へ輸出しており、日本も重要な市場の一つでした。
⚫︎ 日本の電化と外国企業
1900年代の日本は、急速な電化時代を迎えていました。
各地で
- 発電所
- 電灯会社
- 路面電車
- 工場の電動機
が急速に普及し、電気設備への需要が急増していました。
そのため、
- ドイツのシーメンス
- アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)
- アメリカのウェスティングハウス・エレクトリック
など海外企業が日本市場で激しく競争していました。
⚫︎ 足尾銅山との提携
記事では、足尾銅山と特約を結んだことが最大のニュースです。
足尾銅山は、当時日本最大級の銅山であり、古河財閥の中核事業でした。
電線の主原料は高品質な銅です。
シーメンスは、
- 良質な国産銅を確保
- 日本国内で加工
- 完成品を販売
という現地生産体制を構築しようとしていたと考えられます。
これは現在でいう現地調達・現地生産(ローカライゼーション)の先駆的な事例といえます。
⚫︎ アメリカ製電線との競争
記事には米国の電線と競争するとあります。
当時、日本市場ではアメリカ製電線が強い競争力を持っていました。
電線は
- 発電所
- 鉄道
- 電話
- 電灯
- 工場
など、近代化に不可欠な製品でした。
そのため、欧米企業は日本市場を重要な成長市場と位置付け、価格・品質・技術力を競い合っていました。
シーメンスが日本で電線製造を計画した背景には、この激しい国際競争がありました。
⚫︎ その後のシーメンスと日本
この記事の約7年後、日本では1914年のシーメンス事件が起こります。
シーメンス事件は、日本海軍の艦船・無線設備の受注をめぐり、シーメンス社から日本海軍高官へ賄賂が渡されたことが発覚した汚職事件です。
この事件は、
- 山本権兵衛内閣の総辞職
- 軍需調達制度の見直し
- 政治不信の高まり
につながりました。
ただし、本記事(1907年)はその事件以前であり、シーメンスは日本で有力な技術企業として積極的な事業展開を進めている段階を伝えています。
⚫︎ まとめ
- ドイツのシーメンス社は、日本で電気機器を販売するだけでなく、足尾銅山と提携して電線工場を設立する計画を進めていた。
- 良質な足尾銅山の銅を利用し、日本国内で電線を生産してアメリカ製品と競争することを目指していた。
- この計画は、日本の急速な電化と、欧米企業による日本市場での競争を象徴する出来事である。
- 現地の資源を活用した生産体制は、今日でいう現地生産戦略の先駆けとも評価できる。
- シーメンスは後に1914年のシーメンス事件で知られるが、本記事はその前段階における積極的な日本進出を伝える史料である。


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