(1907〈明治40〉年9月12日『東京朝日新聞』)
新たに締結された日露通商条約で特に注目すべき点は、第1条第5項において、不動産の所有権や土地の保有に関するさまざまな事項について、お互いに最恵国待遇を与えることが定められたことである。これまで日本は、各国との条約において、原則として外国人に土地の所有権を認めず、住居や商業のために土地を借りることだけを認めてきた。
しかし今回、ロシアとの条約では初めて、相互に土地所有を認める内容が盛り込まれた。では、その実際の効果はどうなるのだろうか。日本はこれまで、どの外国に対しても土地所有権を認めていなかったため、ロシアだけに特別に認める理由はない。一方、ロシアではすでにシベリア地方の一部で、外国人が農業目的で土地を所有できる地域がある。そのため、その範囲内では、日本人も今後ロシア人と同じように土地所有権を取得できるようになるという。
写真・図引用:https://www.ebay.co.uk/itm/401292726520?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ 日露通商条約とは
この記事で取り上げられている1907年の日露通商航海条約は、日露戦争(1904~1905年)終結後、両国の経済・通商関係を正常化するために締結された条約です。
1905年のセルゲイ・ヴィッテらによる講和交渉で戦争は終結しましたが、その後、日本とロシアは対立から協調へと外交方針を転換し、1907年には日露協約や通商航海条約を結びました。
この条約は、戦争で敵国だった両国が平時の経済関係を再構築する重要な一歩でした。
⚫︎ 「最恵国待遇」とは何か
記事にある最恵国待遇とは、現在の国際経済法でも使われる重要な概念です。
例えば、
- A国がB国に有利な貿易上の権利を与えた場合
- 最恵国待遇を受けるC国にも同じ条件を適用する
という原則です。
この記事では、不動産・土地についても最恵国待遇を適用することが新しい点として紹介されています。
つまり、相手国に対して他国以上に不利な扱いをしないことを約束したのです。
⚫︎ なぜ日本は外国人の土地所有を認めなかったのか
明治政府は、外国人による土地所有について非常に慎重でした。
幕末の不平等条約では外国人居留地が設けられましたが、多くの場合、外国人は土地を借りる権利(借地権)を持つだけで、所有権そのものは認められていませんでした。
その背景には、
- 国土の主権を守ること
- 外国資本による土地買収を防ぐこと
- 欧米列強の植民地化への警戒
といった理由がありました。
したがって、この記事は「土地所有を認めた」というよりも、「最恵国待遇の適用範囲を広げた」ことを評価していると理解するのが適切です。
⚫︎ 日本人のシベリア進出
記事が期待している最大の成果は、日本人がシベリアで土地を所有できる可能性でした。
1900年代初頭のシベリアでは、
- シベリア鉄道の完成
- 農地開発
- 移民政策
が進められており、外国人にも一定条件で土地取得を認める制度が存在しました。
日本政府や実業界は、
- 農業移民
- 林業
- 鉱山開発
- 貿易拠点
などへの進出を期待していました。
もっとも、実際には取得できる地域や条件は限定されており、記事が期待するほど自由な土地取得が可能になったわけではありませんでした。
⚫︎ 「初めて認許」の意味
記事は、「外国人土地所有を初めて認許」という見出しを掲げています。
しかし、これは外国人一般に日本国内で自由な土地所有を認めたという意味ではありません。
実際には、
- 条約上、土地に関する権利について相互に最恵国待遇を適用したこと
- ロシア国内で外国人に土地所有が認められる地域では、日本人も同等の待遇を受けられること
を指しています。
日本国内で外国人の土地所有が全面的に自由化されたわけではなく、見出しは読者の関心を引くためにやや強調された表現と見ることができます。
⚫︎ まとめ
- 1907年の日露通商条約では、不動産や土地に関して相互に最恵国待遇を与えることが定められた。
- 日本は従来、外国人に土地所有権をほとんど認めておらず、この条約は新しい試みとして注目された。
- ロシアで外国人に土地所有が認められるシベリアの一部では、日本人も同等の権利を取得できる可能性が生まれた。
- この条約は、日露戦争後の対立から協調への転換を象徴する外交成果の一つであり、日本の対ロシア経済進出への期待も反映している。
- 一方で、日本国内における外国人の土地所有が全面的に自由化されたわけではなく、記事の見出しには当時の新聞特有の誇張が含まれている点に注意が必要である。

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