(1907年1月22日 中外商業新報)
二十一日の東京株式市場では、本場(立会所)で株価が大暴落した。近ごろは毎日の出来高が十万株以上に達し、通常の前場・後場二回の立会では取引をさばききれないため、取引が特に活発な日には臨時の立会を設け、王城炭鉱株と日本煉瓦株の間で一時間の休憩を入れることが決められていた。
しかし、十八日に株式全般の先行きが重くなった後、二日間の休場を挟んで再開した市場では、投資家の人気が衰え、利益確定の売りが続出した。さらに月末が近づいたことで手仕舞い売りも出て、ほとんどの銘柄が下表の通り暴落した。
その中で、延長線(鉄道延伸)の許可が下りるとの思惑から、東鉄(東京鉄道)株だけは大阪市場の高騰につられて四円高となった。また浦賀船渠株は、海軍による買い上げ説が再び流れ、一円ほど値を保った。米穀関連株は一部の買い進みにより二十円ほど急騰した。
しかしそれ以外は、炭鉱株や京浜株が八円安、日本郵船は五円安、前日に狂乱的な高騰を見せた入山採炭株は反動で二十四円も下落した。紡績株も、綿糸不況が重なり、東紡は十七円安、富瓦紡は十二円安、鐘紡は十円安と大幅安となった。とりわけ、投機熱の後にあった東株は四十五円、新東株は実に七十五円も暴落し、市場はきわめて不況のうちに取引を終えた。
(表略)
◾️ 1907年前後の日本経済と株式市場
1907(明治40)年前後の日本は、日露戦争後の戦後恐慌の影響を強く受けていました。
戦争景気で拡張した企業活動と投機熱が、戦後に急速にしぼみ、金融引き締めと信用不安が重なって株価が不安定になっていた時期です。
◾️ 「東京市場 本場暴落」の意味
当時の株式取引は、現在のような電子取引ではなく、立会所での対面売買が中心でした。
出来高が急増すると立会時間を増やさなければならず、それ自体が投機過熱の象徴でもありました。
その反動として、休日明けに一斉に売りが出たことが、この「本場暴落」です。
◾️ 鉄道・軍需・紡績という主要銘柄
- 鉄道株:国家政策と密接で、延伸許可の噂一つで価格が動いた
- 軍需・造船株(浦賀船渠):海軍拡張計画の憶測が材料視された
- 紡績株:当時の基幹産業だが、綿糸不況で業績悪化
これらが同時に売られたことは、日本経済全体への悲観を示しています。
◾️ まとめ
- 本記事は、1907年の戦後恐慌期における東京株式市場の大暴落を伝えている
- 投機過熱→休日明けの利益確定売り→月末の手仕舞いが重なり、全面安となった
- 鉄道・造船・紡績といった当時の基幹産業が同時に下落しており、一時的な事件ではなく構造的な不況局面であったことが読み取れる
- 明治日本の資本主義が、すでに景気循環と株価暴落を経験する段階に入っていたことを示す重要な史料である

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