(1907年1月19日付・時事新報)
近年、リボンの流行はますます盛んになり、現在では年間の消費額が二百万円から二百五十万円にも達している。今後も需要はさらに増える一方で、衰える気配はまったくない。
しかし日本には、リボンを本格的に製織できる十分な設備を備えた工場がまだ存在せず、関税が五割も課される高価な外国製リボンの輸入をやめることができないのは、まことに残念なことである。
そこで今回、リボン製織会社を設立する計画が持ち上がり、十五日に三井三友倶楽部で発起人会が開かれ、十八日から株式の募集が始められた。資本金は百万円である。さらに同社は、岩橋リボン工場(所在地:谷中)を買収する予定で、創立と同時に事業を開始できる見込みだという。
◾️ 背景
明治後期(1900年代初頭)は、日本社会に西洋文化が深く浸透し、特に都市部の女性の間で洋装や和洋折衷の服装が広まった時代でした。リボンは帽子やドレス、帯留めなどに用いられ、近代的・都会的な装いの象徴として急速に需要を拡大しました。
一方、日本の繊維産業は生糸や絹織物では世界的競争力を持ちつつありましたが、装飾用リボンのような高付加価値の洋風製品については、まだ技術や設備が十分ではありませんでした。そのため、高関税にもかかわらず欧米製リボンへの依存が続いていたのです。
こうした状況の中で、国内生産による輸入代替を目指し、資本力と人脈を持つ財界関係者が中心となってリボン製織会社設立を計画しました。発起人会の会場が三井三友倶楽部であったことからも、当時の大財閥ネットワークが新産業育成に深く関与していたことが分かります。
◾️ まとめ
この記事は、
- 明治後期の消費文化の成熟
- 西洋流行品の急拡大と輸入依存
- それに対応する国内工業化・会社設立の動き
を端的に示しています。
リボンという一見小さな商品を通して、明治日本が「流行を消費する社会」から「自ら生産する近代工業国家」へ移行していく過程が浮かび上がる点に、史料としての大きな価値があります。

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