1906年11月27日 南満州鉄道 創立総会を開く

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.175

(1906年11月27日 東京朝日新聞)
 南満州鉄道株式会社は、昨日午後、神田青年会館において創立総会を開いた寺内正毅陸軍大臣が創立委員長として議長席に着き、書記に創立準備中の事務経過報告を朗読させた。続いて、監事の人数および報酬の件に移り、渋沢栄一男爵より「監事は五名とし、その選任方法は議長の指名に一任したい」との動議が出され、満場一致で可決された。
 これを受け、議長は次の五名を指名した。
  ・瀧兵右衙門
  ・馬越恭平
  ・岩下清周
  ・中橋徳五郎
  ・川上謹一
(中略)
後藤総裁 就任演説
 後藤新平は次のように述べた。
「このたび、私のような非才の者が、はばかりながら南満州鉄道株式会社総裁という重職をお引き受けすることになったのは、この巨大な事業について十分な成功の見通しがあったからではなく、ただ政府および株主各位のご意向を正しく理解し、全力を尽くす決意をしたからにほかならない
 しかしながら、現時点では、まだその趣旨を十分に把握し、将来の具体的な事業方針を、閣下ならびに皆様に明確に申し上げる段階には至っていないことを、誠に遺憾に思う。これは、後日の努力に期したい。
 本社の事業は、単に鉄道経営にとどまるものではなく、その関係はきわめて広く、かつ重大である。路線延長はわずか七百マイルにすぎないとはいえ、世界の交通・流通機構、すなわち世界商業の大動脈の要所を占めており、東洋はもとより、世界の産業・商業の利便に資する位置にある
 したがって、本社の鉄道経営方針は、わが政府および株主の意思に沿うことは当然であると同時に、国内外の実業家の要望にも応えるものでなければならない。とりわけ清国人に対しては、できる限り協力を得る姿勢を持ち、その協力を妨げる誤解や猜疑心を、努力して取り除かなければならない
 私の乏しい才能で、このような重責を果たし得るかどうか、自ら省みて心もとない思いである。しかし、本社事業の成否は、単に一会社の利害にとどまるものではなく、実に世界の実業家の幸福・不幸に関わる問題である。国民の栄辱を、戦争の勝敗のみによって決すべきであろうか。
 この重職に当たり、私は各方面からの後援と理解を切にお願いする。それは、一会社のために皆様の高い識見を煩わせようというのではなく、皆様の立場そのものが、この国家的事業に対して関与を免れ得ないものだと信じるからである。」

◾️ 南満州鉄道(満鉄)とは

南満州鉄道株式会社(満鉄)は、1906年、日露戦争(1904–05)後の講和条約(ポーツマス条約)により日本が獲得した、

  • 長春―大連間の鉄道権益
  • 付属地・炭鉱・港湾などの経営権

を運営するために設立された国策会社です。

形式上は株式会社ですが、

  • 政府出資が中核
  • 経営は国家戦略と直結

する、準国家機関でした。

◾️ なぜ「創立総会」が重要か

満鉄は単なる鉄道会社ではなく、

  • 満洲経営の中枢
  • 軍事輸送・資源開発・植民地経営
  • 日本の対外進出の象徴

という性格を持っていました。

この記事は、日本が「戦争の勝利」を「恒久的な経済支配」へ転換しようとする瞬間を伝えています。

◾️ 人物の意味

  • 寺内正毅(陸軍大臣) → 軍が満鉄経営に深く関与していたことを示す。
  • 渋沢栄一       → 民間資本・実業界を動員する役割。
  • 後藤新平(初代総裁) → 台湾統治で実績を持つ「経営型官僚」。

満鉄は、軍・官僚・財界の三者が結合した典型的な帝国経営機関でした。

◾️ 後藤演説の思想的特徴

後藤の演説には、次の点が表れています。

  • 満鉄を「世界商業の大動脈」と位置づける国際的視野
  • 清国人との「協力」を強調する姿勢
  • 軍事的勝利よりも「経済経営」の重要性を説く考え

これは、武力による制圧から、経済・制度による支配へという、日本帝国主義の新段階を象徴しています。

◾️ 歴史的意義

この創立総会は、

  • 日本の大陸経営の出発点
  • 満鉄が「国の中の国」と呼ばれる存在になる起点
  • 後の満洲事変(1931年)へ続く長い伏線

となりました。

この記事は、近代日本が「戦争国家」から「経済帝国」へ踏み出した決定的瞬間を示す、極めて重要な史料です。

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