(1907〈明治40〉年9月25日『時事新報』)
ドイツが提案していた「万国高等捕獲審検所(国際捕獲審検裁判所)」の設置案は、今回の平和会議で最も議論の激しい問題の一つと伝えられていた。このほど本会議に付され、ついに可決されたという。
その内容は、戦争中に交戦国が拿捕(だほ:敵国の船舶や積荷を押収すること)した船舶や貨物について、各国が自国で行った審査の結果に不服がある場合には、当事者がこの万国高等捕獲審検所へ上訴できるようにするというものである。裁判を担当する判事は、条約加盟国がそれぞれ一定数を任命することとされている。
しかし、小国については、二、三か国が共同で一人の判事を選出するという規定であったため、小国の反対が多かった。日本は独自に判事を選出できる資格を持っていたものの、今回の決議には加わらず、加盟するかどうかの判断を保留したという。
また、開会以来の重要議題であった
・浮遊機雷(漂流する機雷)の使用
・自動機雷を設置した海域の規制
については、各国代表の意見が大きく対立しており、「数年後まで決定を延期すべきだ」という意見まで出ている。そのため、今回の会期中には結論が出ない可能性もあると報じられている。
写真・図引用:https://www.marinebelge.be/mines.html?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ 第二回ハーグ平和会議
この記事が伝えているのは、第二回ハーグ平和会議での審議です。
1907年6月から10月にかけてオランダ・ハーグで開催され、44か国が参加しました。
会議では
- 戦争法
- 海戦法規
- 中立国の権利
- 仲裁制度
- 国際司法
などが議論されました。
当時としては最大規模の国際法会議でした。
⚫︎ 万国高等捕獲審検所とは
記事の万国高等捕獲審検所とは、正式にはInternational Prize Court(国際捕獲裁判所)です。
戦争中、
- 商船
- 積荷
- 漁船
などを敵国船として拿捕した場合、これまでは交戦国自身が「捕獲は合法だった」と判断していました。
しかし、「中立国に不公平ではないか」という問題がありました。
そこで、各国共通の国際上級裁判所を設けようというのがドイツ提案でした。
これは現在の国際司法制度の先駆けと評価されています。
⚫︎ なぜ小国は反対したのか
記事にもあるように、小国は数か国共同で判事一人しか選べませんでした。
これでは
- 発言力が弱い
- 大国中心になる
- 判決の公平性が損なわれる
と考え、ベルギーやオランダなど比較的小規模な参加国から反対意見が出ました。国際機関で「一国一票」なのか、「国力に応じた代表制」なのかという問題は、現在の国際連合でも続く課題です。
⚫︎ 日本が加盟を保留した理由
日本は日露戦争に勝利し、世界の列強の一員として扱われるようになっていました。
そのため、独自の判事を選ぶ資格がありました。
しかし、制度そのものがまだ十分に整備されていなかったことや、自国の海軍行動が国際裁判所の審査対象になることへの慎重論もあり、日本政府は加盟を留保しました。
その後、この国際捕獲裁判所は1909年に詳細な規約が作成されたものの、批准が進まず、実際には開廷することなく終わりました。
⚫︎ 機雷使用をめぐる論争
記事後半では、
- 浮遊機雷
- 自動機雷
についても紹介されています。
日露戦争では、機雷によって多くの艦船が沈没しました。
そのため、第二回ハーグ平和会議では「漂流する危険な機雷を禁止すべきか」が大きな論点となりました。
しかし、海軍国である
- イギリス
- ドイツ
- ロシア
- 日本
などの意見は一致せず、最終的には完全禁止には至りませんでした。
その結果、1907年ハーグ第八条約として一定の使用制限のみが定められました。
⚫︎ まとめ
- 第二回ハーグ平和会議で、ドイツ提案の国際捕獲裁判所設置案が可決された。
- この裁判所は、海上での船舶・貨物の拿捕を国際的に審査する世界初の構想であった。
- 小国は判事選出方法に反対し、日本も加盟を保留した。
- 同時に機雷使用をめぐる議論も続いたが、各国の利害対立により結論は難航した。
この記事は、20世紀初頭に国際法と国際司法制度が整備され始めた過程を伝える重要な史料である。

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